コロナと暮らし

シンポジウム「コロナと暮らし」9月5日(土)午後1時30分~ホクト文化ホール小ホール

基調講演:丸山貢一さん(信濃毎日新聞論説主幹)
基調講演:丸山貢一さん(信濃毎日新聞論説主幹)

主催は「コロナと暮らし」実行委員会。

 

信濃毎日新聞論説主幹の丸山貢一さんが基調講演をおこないます。

 

医療、教育、学費、営業、ジェンダーなどの角度から、コロナ禍で起こっていることを発言・交流し、 私たちの社会・世界を見つめ、人間が人間的なものに回帰し、助け合う未来を考えます。

 

入場料500円(子ども・学生無料)、定員は150人でお申し込み制です。託児は1人100円です(事前にお申し込みください)。

 

 

 

 

 

 

参加のお申し込みを受け付けています。お名前と電話番号をご記入ください。

※託児やお問い合わせも受け付けています。

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休業補償を受けて、新型コロナを広げないためにパチンコ店を休業するというのが、憲法の要請する社会

※岡田和枝弁護士のコメントです

 

私たちの自由は、「公共の福祉」即ち、他の人の権利とぶつかるときは制限されます。

パチンコ営業は、経営者の営業の自由、利用者の幸福追求権、移動の自由など、憲法上の保障を受けています。

他方で、3密状態を作ることで、新型コロナのクラスター発生のリスクを高めるということは、現時点で科学的に明らかになっていることです。

そうすると、パチンコ店の営業は、特に持病を持った人や高齢者など他の人の命や健康を侵害する可能性があるため、「公共の福祉」により制限されます。

問題は、合法的に経営しているパチンコ店に休業補償を出さないことです。

憲法12条後段には「また、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれおを利用する責任を負う。」とあります。

休業補償を受けて、新型コロナを広げないためにパチンコ店を休業するというのが、憲法の要請する社会であると思います。

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コロナ禍で見えたもの

この4ヶ月のことを、世界的にも日本国内としても自分自身の人生の1ページとしてもずっと残っていくものとして、改めて振り返り、第二波についても併せて考えたいと思います。

 

私がコロナ禍で一番に感じたことは

「指示待ちの日本人」です。

2月以降関東を中心にコロナ感染者が増えていく中で、私の身近な人間で「早く緊急事態宣言を」という声が増えてきました。

全国の学校が、首相や文科大臣のツルの一声で一斉休校になったことはかなり問題でしたが、日本人のコロナ感染禍拡大を懸念する多くの人が、非常事態宣言を待っていました。つまり、この国は、学校の校則のような「決まり」というものが「先生みたいな存在の人から」発信されないと自ら行動が自粛できない、考えることができないのではないか。これは私達がずっと学校でそうしてきた延長にある気がするのです。

 

もちろん、もっともひどかったのは、自粛を要請しながらも補償をセットにしなかった国の対応です。個人の店などは補償がなければ閉めるに閉められない。経営をしていない人間でも思いを馳せることができるのに、補償がなく開けている店を叩く日本人。叩くのは補償を出さない政府へではないでしょうか。

自警団がはびこり、県外ナンバーの車に張り紙をしたり、感染者への嫌がらせ、個人情報をSNSで流すなど向ける矛先が全く間違っています。

検査や医療体制を拡大しない政府の方針と、感染者への差別的な視線が合わさり、感染者が感染していることを隠したり、感染源を特定できなけれぱ第二波が表立った数値にならず爆発的に広がることも懸念されます。

 

今は感染しないために、暑い日中を、30度を超えないとクーラーを付けてもらえない教室の中でマスクをした子どもたちが生活しています。

無言で食べる給食、校門でマスクをしているか見張る教員、全員外を向いて歌う音楽の授業、学校によっても対応は様々ですが、厳しいところでは子どもが気持ちの不調を訴え始めています。休校中は学習が家庭へ丸投げされ、親が見れるか見れないかにより休校明けの進行にも大きく影響が出ています。元々限界を超えていた学習指導要領を休校明けからも何とか全てこなさなくてはならず教師達は学校へようやく来れた楽しみを子どもたちに存分に味合わせる余裕もなく日々の授業やテストに追われています。

 

私達大人も子どももはコロナによって、何を失っているのか。どんなことを判断基準にしながら生活をしていけばいいのか。

まず、生活の中の権利が何なのか知らずそれ考えることはできるのでしょうか。

日本という国はずっと、権利を教えない国です。コロナ以前でさえ本来渡航の自由という権利があることを知った上で生活していた大人はどのくらいいるでしょうか。

与えられた権利が制限されている状況に感染を恐れ、むしろ安心してしまう。

自由がなくなることより感染しないことを優先し続けたら、第2波やこの先また新種のウィルスが次々にでてきたら、日本人が自ら持っている権利をさらに捨てることにならないか、自分を含め心配です。

 

今回の国の多くの対応について、怒っているのは大人だけではありません。

小学生でさえ、アベノマスクに怒っています。

小学生でさえ、どんな補償が必要か考えています。

小学生に怒られる、笑われる国のトップを作った私達大人が、小学生に怒られている、笑われているということなんです。

 

検察長の定年延期問題では国民が声を上げたことにより議論が途絶えました。

有名な芸能人が発信したことも大きな要因になったかもしれません。しかしこの先も、芸能人や有名人が発信すればいいということではありません。

元々、おかしいことをおかしい、と声を上げていた人はたくさんいます。

声を上げる自由を、権利を自覚した大人があらゆる手段を使って抗議や疑問を投げかける土壌があったからこそ、今回の大きなうねりにも繋がったと感じます。そしてそこから新たに声を上げられた人たちが合わさりました。

少しずつだけど、数年前から考えたら変わってきていることがあると実感できています。

もう、子どもに笑われる政権を選んでしまう大人から卒業しませんか。

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国民の不断の努力が実を結んだ この勢いで検察庁法改正廃案へ

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台風19号、コロナ禍と学びの権利(長野市豊野出身の金沢大生、Sさんのメッセージ)

長野市豊野町生まれです。現在は金沢大学に通っています。今回、憲法かえるのやだネット長野さんが街頭活動を行うとのことで、メッセージを送らせていただきます。現在、私は全国的に広がっている学生支援を求める署名活動を金沢大学で行っています。また高等教育無償化プロジェクトFREEにも参加しており、そちらでも活動をしています。長野では、昨年の災害以降、ボランティア団体N-FiRSTに参加してボランティア活動に参加しています。

 

今回、僕は現行の憲法でも十分に保障されていない、平等な教育を受けるという権利について述べさせていただきます。そもそも日本国憲法第26条によって教育の権利は保障されています。また日本国憲法第14条よって平等権も保障されています。

 

しかし、現実では経済的理由によって大学に進学できない人や大学に進学しても経済的理由で退学をせざるをえない人がいます。毎年10,000人の学生が経済的な理由で大学を退学しています。最近では新型コロナウィルス感染症による学生生活への影響が様々なメディアで報道されています。例えば、アルバイト収入によって学費や生活費を賄っていた学生が、このコロナ騒ぎによってアルバイトがなくなり、生活ができなくなり、大学を辞めざるを得ないなどといったことです。4月に発表されたFREEの調査では、5人に1人の学生が大学を辞めることを検討していると回答しました。このような現状が生まれているなかで、果たして教育の機会均等が保障されていると言えるのでしょうか?

 

そもそもこの問題は今に始まったことではなく、従来からあった問題です。それがこの全国的な疫病災害である新型コロナウィルス感染症の感染拡大によって顕在化したに過ぎないのです。これまでの制度においても、災害によって学びをあきらめざるを得ないと言う学生が生まれる可能性が十分にありました。従来の支援制度では、家屋災害に限定した支援のみが行われており、今回のように間接的な経済被害に関しては支援されていませんでした。つまり災害によって学びの権利が簡単に失われてしまう状況が今までもあったのです。

 

このように簡単に学ぶ権利が失われてしまうのは教育が商品であるからに他なりません。多くの人々にとって、もちろん僕自身にとっても、小学生の頃から教育に関する費用を支払うことで教育に対する消費者マインドが身に付いてしまっていると考えています。お金を払った対価としての教育、果たしてそれは権利であると言えるのでしょうか?お金を払えなければ教育を受けられない、これはお金を払えないから車を買えないといったような、購買行動となんら変わりありません。このことは、大学などの高等教育機関に限らず、高校や中学校、小学校にも言えることです。一例として修学旅行があります。修学旅行は学習が目的とされている一方で、それにかかる費用は各家庭が負担しています。特に小・中学校は義務教育過程であり、教育費はかからないとされているのに、修学旅行のためにお金を支払わなければならないというのは、果たして憲法が規定する義務教育の無償を達成していると言えるのでしょうか。

 

こういったことを主張すると「教育費は受益者が負担する」と指摘されます。このような指摘をしてくる方は、大抵、教育の受益者は学習者本人であると捉えています。しかし教育の受益者とは果たして学習者本人だけなのでしょうか?学習指導要領に記載されている中央教育審議会答申では、「より良い学校教育を通じてより良い社会を創る」とあります。すなわち、教育の受益者とは学習者本人だけではなく、社会も含まれます。受益者負担の考え方に基づくのであれば、小・中学校の修学旅行にかかる費用やその他給食費など費用、また進学の際の受験料なども社会が負担するべきなのではないでしょうか?受験に限らず、高校・高等教育機関で必要な授業料についても社会が負担するべきではないのでしょうか?

 

そもそも日本は災害大国です。いつ大きな災害に見舞われるか分かりません。災害によって学びの権利が左右されないようにするためには、教育費は社会が、国が負担する必要があります。日本の教育費のうち、家庭負担が占める割合は6割を超えています。これはOECD諸国の中でもトップレベルで高い比です。日本のように災害が多発する国において、教育費の家庭負担が多いと学びが失われてしまう可能性も高いといえます。災害に備えるという意味においても、教育費の家庭負担をなくし、無償にする事は必要な政策だと僕は考えます。

 

このような不十分な環境の中で、日本国憲法を改憲するということに僕は強く反対します。現行の憲法下において規定されている権利でさえも保障されていない中で、憲法を変える事はとてもリスキーであり、それこそ萩生田文科大臣が署名活動を行なっている学生に対して言い放った言葉、「順番が違う」と言えます。このような状況下で憲法を変えようと言っている方には「目を覚ましていただいて」、まずは現状抱えている問題を十分にクリアしていくことに集中して欲しいです。

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全国一斉休校、安倍首相の鶴の一声で子どもの普通教育を受ける権利が制限された

3月19日、長野市トイーゴ前で読み上げました
3月19日、長野市トイーゴ前で読み上げました

※岡田和枝弁護士からのメールです

 

マスコミ報道は、共働きの家などで、子どもをみれなくなることの不都合さを取り上げています。

この不都合さがあることは、私は身をもって実感しています。

しかし、そもそも、学校は、共働きの家のために子どもの面倒をみるところではありません。

子どもの普通教育を受ける権利を保障する場です。

 

今回、安倍首相の鶴の一声で、子どもの普通教育を受ける権利は制限されました。

憲法上の権利が「国民の命を守るため」という理由で、簡単に制限されることはあまりに恐ろしいことだと私は思います。

緊急事態条項が憲法に書き加えられたら、こういう世の中になるんだなと、私は背筋が凍る思いです。

 

国民が自分の権利を制限されながら、それを簡単に許してしまえば、そのうち、次のようなことも起こりえます。

「国民の命を守るため集会は開かないで下さい。」「国民の命を守るためデモは行わないでください。」

「国民の命を守るため宗教活動は自制してください。」「国民の命を守るため学会は開かないでください。」

 

「国民の命を守ることに資する研究以外はしないでください。」

 

集会やデモを自制するように安倍さんが要請することだって、今回と同じ理屈で可能なのです。

あくまで要請です、自治体が自主的に判断して下さいと良い通、一斉に自治体が公民館の使用許可を取り消したらどうなるでしょうか。

私たちは、もっと権利侵害に対し、敏感にならなければいけないと思います。

 

緊急事態条項が憲法上に書き加えられ、緊急事態が宣言されると、国民の人権は停止できます。

そうなれば、コロナウィルスや地震などを理由に、「国民の命を守るために集会は禁止」「国民の命を守るために学校は休校」と命令することも可能になるのです。

私は、今回の休校要請は、人権がいとも簡単に制限された前例を作ってしまったと思います。決して許してはいけないことです。

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