戦争をなくすために

「戦争をなくすために必要なこと」(戦場カメラマン・石川文洋さん)

2014年6月14日、秘密保護法やだネット長野の主催で、戦場カメラマンの石川文洋さんの講演会に取り組み、百二十人が参加しました。宮川恵子さん(三十代・農家)の「世界から戦争をなくすために必要なこと、石川さんが希望と感じていることを教えてください」の質問に、石川さんは次のように答えました。 

 

人間は過去の戦争の教訓を生かせない愚かな点がある

人間というのは、月や宇宙にも行くし、深海にも行ったりするというすぐれたところもあるのに、過去の戦争の教訓を生かせない、愚かな点もあると思っています。かつて日本の戦争が終わったときに、あれだけ「戦争はしない」と憲法九条をつくって、私も終戦のとき、小学校二年でしたが、本当に戦争というものは絶対にダメだと思いました。それが今、政府の人もそうだけど、一般の人も戦争からかなり離れてますよね。戦後直後のように、「戦争は絶対にイヤだ」とはなっていない。口ではそう言っていても、行動として、選挙で戦争をする国をつくろうとする人たちを選んでいる。それは戦争の教訓を生かしきれていないからだと思います。これは日本人だけでなくて、世界でもそうだと思います。

差別し、人間を人間と思わないことが戦争につながる

 ベトナム戦争について、米国防長官だったマクナマラ氏が回顧録で、なぜアメリカが敗北したかを分析し、ベトナムの文化や民族を理解できなかったことだと書いていますが、私は戦争というものは相手を理解しないというところが大きな原因になっているというように思います。

日本の戦時中、私は沖縄人でありながら、朝鮮人を差別したり、アメリカ人については「鬼畜米英」と赤い顔してツノが生えたポスター、今でも私、覚えていますよ。そういう相手を理解していないことが戦争につながる。ベトナム戦争のときでも、アメリカ人はベトナム人は人間より落ちる土人、目がつりあがってですね、もう人間を人間として思わないで相手を殺していく。

戦争をなくすためには相手の国の一人ひとりの人間にはそれぞれの人生があるんだと、一人ひとりの人間を理解していくことです。軍事力では解決できません。軍隊は抑止力にならない、戦争をなくすためには地球上から軍隊をなくすことだと、軍隊がある以上戦争は起こるというように思っています。

一人ひとりの善意を信じます

私は日本の戦争がどういったものであったかを学びなおすことが大切だと思っています。そして私は、一人ひとりの人間の善意というものは信じています。そこに私は希望をもちます。この講演会に参加している人たちは戦争に反対してくれています、日本にも戦争に反対している人はたくさんいます。心強く思います。そういう人たちが広がって戦争はなくなる方向にすすんでいく、そう信じています。

 

4 コメント

「"ウチの子どもはころさせない”では、平和を守れない」ー平塚らいてうが愛した信州・うえだから物申す(3人の子どもを育てるアベさん)

上田市に住む、3人の子どもの母です。

安保関連法を廃止してほしいと思っています。

民主主義を踏みにじるやり方で成立させてしまった、自民党をはじめとする国会議員の方々には、国会からご退場いただきたいと思っています。

 

いろいろ言いたいことはあるけれど、今日は、政治について声を挙げることについて、お話したいと思います。

 

私はこうして、友達、ママ友達とのつながりをベースに、その他にも大勢の人たちに支えられて、声を挙げています。集会を開いたり、デモやスタンディングに参加したり、署名したり、国会議員にFAXしたり。

 

こうした中で、たびたび、ママたちが、家族をはじめとする周囲の理解を得られなくて、苦しむ声を耳にします。

「こどもをそんな場所に連れ出すなんて」「子どもたちのためだと言って、自分のこどもを犠牲にしてる」「家事がおろそかになってる」

特に、家族に言われるのが一番こたえます。

私も、実母に言われました。

「こどもが小さいうちは、やりたいことを我慢するのも必要」

「なんであなたが、行かなきゃいけないの?」

 

やりたくてやってるわけじゃない。

でも、今、声を挙げなければ、子どもたちが、戦争に巻き込まれることになるかもしれない。

私が行かないで、誰が行くの?

ひとりが動かなければ、何も動かない。

具合が悪くて、子どもが熱を出して、動けなくて苦しんでいる人もいる。

ママたちのデモや集会は、一見、楽しそうに見えるかもしれません。

それは、ママたちが、やるせない現実の中でも、楽しさを見つけようと、工夫しているから。

ママたちが笑顔でいることが、子どもたちの笑顔につながることを知っているから。

 

子どものこと、家庭のことを心配して言ってくれているのがわかるから、ママたちは苦しみます。

 

でも、ママたちは、わかってしまったんです。

「ウチの子どもはころさせない」では、平和を守れないことを。

「ウチの子ども」を守るかのように聞こえる決まりごとがあったとしても、「ウチの子ども」が誰かの子どもをころすことになるかもしれない。それは、回り回って、「ウチのこども」がころされることにつながりかねません。

「ウチのこども」じゃ足りないんです。「だれの子どももころさせない」決意が必要なんです。

 

今のは安保関連法案の例でしたが、他のことだって同じです。

TPPは、農家の人だけの問題じゃない。

特定秘密保護法は、メディアの人たちだけの問題じゃない。

派遣法だって、マイナンバーだって。

政治は生活に直結しています。

 

「特定の人が困るだろうけど、自分は困らないから良い」

「決められたことなんだから、従うしかない」

それじゃあ、自分も、子どもたちも守れないんです。

 

今まで政治に関心が無かったようなママたちが、声を挙げはじめて、周囲も戸惑っているのかもしれません。

でも、私たちの声を聞いてください。

私たちも、お母さんたちの子どもです。

考えて、考えて、行動しています。

お母さんたちに、理解してほしい。

そして、いつか、理解してもらえると信じて、声を挙げ続けます。

 

(10月13日、上田市内でのスタンディングアピールで)

110 コメント

猫がくれたメッセージ。「知らない」ということが、何よりも、差別につながる(安保関連法に反対するママの会信州・上田市のアベさん)

私がこれまで、安保関連法案に賛成する方のお話しを聞く中で、気になっていたことがあります。

それは、差別する心を感じる、ということです。

 

どこかの国が攻めてくるという話もありますが …

戦争をするということは、人を人として扱わないということです。

日本国憲法で謳っているように、人を個人として尊重するならば、戦争というものは起こせないと思います。

だから、戦争を肯定する時点で、もうそれは差別なんだと思います。

そんなことに思い当たってから、私は、自分の中にも、差別する心が無いように、と思ってきました(元々、差別は良くないと思ってはいましたが)。

猫がくれたメッセージ

 

猫の話をします。

 

安保関連法案が通りそう、ということでバタバタしていた8月、うちに一匹の猫がやってきました。野良猫です。野良なんですが、妙に人懐こくて、三日三晩、家の前でにゃーにゃー鳴き続けました。

私はそれまで猫を飼ったことが無かったのですが、うちに居たいのかな、と思い、飼うことにしました。

お医者さんに連れていき、病気を持っていないか診てもらい、飼いはじめました。

 

それからほどなくして、私のお腹に赤ちゃんがいることがわかりました。

友人と話しているときに、友人が言いました。

「トキソプラズマって危ないよね。猫が媒介するんだよね。」

私はその時、トキソプラズマについてはよく知らず(前に一度調べたけど、関係ないやと思って忘れていました)、「猫」「胎児に影響がある」「障害が残る」そういう不安だけが煽られて、私は猫を避けるようになりました。

猫が寄ってこないように追い払うようになりました。 

だけど、ずっと悶々としていました。

不安なんだけれど、本当はどういうものなのか。

日常の忙しさを理由に後回しにしていたけど、調べはじめました。

そうしたら、確かに、猫が媒介するけれど、それは、猫自身が感染した後10日間くらいの便が危ないのだということでした。

便にさえ気をつければ大丈夫なのです。

(注:トキソプラズマの感染源は、猫の便以外にも、生肉などがあります)

それを知ったとき、私は、「あぁ、これが差別なんだ」と思いました。

 

「知らない」ということが、何よりも、差別につながります。

知らなくて、不安だけが煽られて。

自分が差別しているとは思っていなくても、それが差別なんです。

私は、これは、猫がくれたメッセージだと思いました。

 

「不安」をかき消すには、「知る」しかない

いろんな人が、「あの国は危ないよ」「あんなこともしてるよ」と言います。それで、不安が煽られて。。でも、本当に、知っているんでしょうか。知ろうとしているんでしょうか。その国の人たちと、仲良くしようとしてるんでしょうか。

そんな努力もしないままに、不安だけを募らせる。知らないからこそ、こわくなる。

私は、この「不安」をかき消すには、「知る」しかないと思いました。知らない人に伝えていくしかないんだと思いました。

そして、私の中に潜んでいる差別の心というのも認めなきゃいけないと思いました。

 

知らずにこわがっちゃいけないというのは、原発の事故の時に、十分わかっていたはずなのに。

それを思うと、私は自分で自分が情けなくなります。

私は愚かだな、自分が知らなくて不安なものは、知ろうとしなきゃいけないんだな、と思いました。

 

だから、今後のママたちの活動としても、勉強して、これは不安のモトにはならないんだよ、ということを、いろんな人に伝えていくのが大事だと感じています。

 

猫は今もウチにいます。(便には気をつけています)

 

(2016年1月3日、善光寺初詣集会でのスピーチ)

0 コメント

信州大学経法学部「憲法学講義」での講演(安保関連法に反対するママの会信州・山本妙さん)

上田市からきました、山本ともうします。

私は、本来ならこのように壇上でお話するような人間ではありません。

大学の先生でもなければ、学者さんでもありません。ふつうの主婦で、おかあさんです。

今日も夕飯を作ってからここへきました。

私には男の子と女の子の双子がいます。この春に入学したばかりの、小学一年生です。

来月で7歳になります。

私自身は大学生を経験したことがないので、こうして大学という場所自体に足を踏み入れたことも、実は今までありませんでした。なので、とっても緊張しています。

みなさんは、この信州大学で大きな目標のために学ぼうと、もしくは、目標を探すために学ぼうとされて、勉強されてここまでこられたんだと思います。本当にすばらしいことです。今回、ありがたいことに成澤先生から私にお話をいただいたときに、そんなみなさんに、私のようなふつうのおかあさんが何をお話しできるのか、とかなり悩んで考えていました。

でも、私、いくら考えてもお恥ずかしいことですが、本当にむずかしい言葉やむずかしい話はできないんです。

なので、私は、ふだんのおかあさんの言葉で、いつも子どもたちや家族に話すようにお話させていただこうと思っています。お聞き苦しい点などあるかと思いますが、ご容赦ください。

ただひたすら自分の子どもたちの将来をまもりたいから

まず、今回お話ししたい、安保法制のことです。みなさん、どのくらいこの法制についてご存じでいらっしゃいますか?

 

 私は、去年の今頃までは全然何のことなのか、ぼんやりとしかわかりませんでした。

それよりまだまだ手がかかる子どもたちとの日常生活が忙しくて、政治のことはもう全然触れる機会すらありませんでした。まわりにも、そんなお母さん達ばかりでした。

そんな私がいま、長野県内のほかのお母さんたちと「安保関連法に反対するママの会信州」としてデモやスタンディングアピールで、プラカードを掲げて路上に立ったり、勉強会をしたり、国会議員さんと座談会を開いてお話を聞いたりしています。

それはなぜか、というのは、私のほかに活動しているおかあさん達もおなじですが、ただひたすら自分の子どもたちの将来をまもりたいから、という気持ちから、それ以外にありません。

おかあさんは、命がけで子どもを産みます。私も、双子の出産は一昔前では母も子も命の危険がありました。そしてその生んだ命を、人間を育てていくのがどんなに大変なことなのか、身をもって実感しているところです。みなさんも、おうちでお母様に聞いてみてください。

どんなに大変でも自分の体がしんどくても、自分の子どもたちが心もからだも健康に育つことが、何よりも幸せで、うれしいんです。

そんな私たち母親にとって、何がいちばんつらいことなのかというと、自分より先に子どもが死んでしまったり、不幸になることでしょう。私自身も、想像しただけで怖くて悲しくて涙がでてしまいます。 

 

70年前のおかあさんたちは、だまっていることでしあわせになったんだろうか?

 私は、ずっと政治には無関心でした。難しい話だらけでつまらない、そう思っていました。

でも、そんな政治と、私たちや子どもたちの将来の生活の問題が実は同じ線でつながっているんだと分かって、このままではいけないと考えたんです。

70年前、この日本の国は戦争で負けて、ぼろぼろでした。

おとうさんやおかあさんは子どもたちを守ってあげられなかった。

 

そしてもう二度と戦争をしない、と決めていたはずなのに、3年前の12月、特定秘密保護法が成立したときから、この国は戦争へ再び傾きはじめている、と言われています。

私も、危機感はおぼえていました。けれど、私が何か声をあげたことで、世間や国からいろいろ言われたり、また昔の戦前の日本のようにつかまったりしてしまうと、家族に迷惑がかかるかもしれないと思い、それがこわくて、危ないな、と思っていても何もできずにいました。だけど去年の夏、安保法案反対の声が広がっているのを知って、そんな自分が恥ずかしくなりました。

皆さんと同じくらいの大学生の若い人たちや、私のような小さな子どもをもつおかあさん、そして私の半分も生きてない歳の高校生までもがこんなにがんばって声をあげているのに、私は何をこわがっているんだろう、そう思ったんです。

 

また、70年前の戦争のときにもつかまったりするのがこわくて声をあげられなかったおかあさんたちは、黙っていることでしあわせになったんだろうか、とも考えました。

答えは、もちろん、ノーです。

声をあげずにいたことで、つかまらなかったかもしれない。まわりの人からも非国民なんて言われずに済んだかもしれない。だけど、そんなおかあさんは自分がうんで大切に育ててきた子どもに「国のためにたたかって、人をころして死んでこい。」なんて言って、自分の子どもを死なせなきゃならなかったんです。そして、自分の子どもが、家族が戦争に行って死んでしまっても、その死を悲しんじゃいけなかった。とんでもないことです。

食べるものにも困って、楽しいおもちゃひとつも買ってあげられなくて、最後は爆弾で焼かれて死んでしまうなんて、決して幸せな人生ではありえません。

だとしたら、今なら、まだ間にあう今なら、そんな世の中になってしまわないようになんとかして止められるように、声をあげなくちゃいけないんじゃないか、と思って、いてもたってもいられず活動をはじめました。

 

私は子ども達に、けんかをしても叩いちゃだめだよ、と教えます。ちゃんと謝ろうよ、とも言います。

また、おおぜいで一人を叩いたりしてやっつけるのはいけないよ、とも。

武力でおどして武力を制そうとする安保法の、集団的自衛権のやり方は、おかあさんとしては、どうしても子どもに説明できない、いいことだとは言えないのです。

未来は自分たちでつくっていこう

みなさんのお手元にあるリーフレットは、私自身が、自分の友達やまわりの人にこの問題を少しでもわかりやすく伝えたくて、なぜか話しにくいこの話題を、むずかしい言葉を抜きにしてわかってもらいたくて、気軽に手渡しできるようにと、作ったものです。

こちらの成澤先生にもみていただいて、間違っているところや直したほうがいい点などを教えていただいて、とてもわかりやすいものができました。

 

政治の話はむずかしいし、なんだか話し合いにくいです。だけど、みんな一人ひとりが考えていかなくてはいけない話です。

無関心なままでは、国を動かしている一部の人たちに私たちの生活そのものがいいようにされてしまう。げんに今、そうなってきています。

戦後つくられた日本国憲法の条文を、私は言えません。でも、憲法でまもられている私たちの生活の権利ややさしさは、いつも当たり前にそこにあります。

この見えない空気のように憲法がまもってくれているこの生活を変えてしまわないためにも、政治には無関心でいてはいけないと思います。

 

私がみなさんにお伝えしたいことは、政治の話を遠いものでなく、もっと身近なものにしていきたい、していってほしいということです。

どうか、自分で考えてください。そして、みなさんのまわりの人とも、よく話しあってみてください。

誰かにまかせていいや、とか、つまらないしわからないしなんだかこわいから、私は知らなくてもいいや、とは決して思わないでほしいです。

そして、誰かについていけばいいや、とも思わないでほしいです。

この国のことは、政治も生活もおなじです。決して、政治家の方だけのものではありません。みんなのものです。

誰かを信頼することと、その誰かにすべてを委ねてしまうことは、違います。みなさんが、一人ひとりで、自分や家族や友達を、地域や国が違っても人と人を、みんなが幸せになるにはどうしたらいいだろう、と自分の心で、考えてください。

 

みなさんもいま大学へ通い、これから就職して、家庭をもったり子どもを育てたりするでしょう。

その未来の話を、あかるい将来を誰かが用意してくれるものではなく、自分たちでつくっていく、そんな気持ちでかんがえてほしいと、思います。

(2016年5月19日)

 

※「安保法でどうなるの?」リーフレットのダウンロードはこちらから

1 コメント

松代に根づいた「アンネのバラ」。差別をすることも戦争をすることもないバラが、この地で語っていること

第二次世界大戦中のオランダでナチスの迫害を受けた「アンネの日記」の著者アンネ・フランクに由来する「アンネのバラ」は、平和のシンボルです。

父は朝鮮人、母は日本人の山根昌子さん(故人)が、東京の神代植物園から株分けしてもらった「アンネのバラ」。山根さんから「このバラをこのあたりでいっぱいにしてください」とお願いされたのが、長野市松代町の花づくり農家、中沢忠実さん。中沢さんは思いにこたえ、30年育て続け、希望する人には株を分けています。(写真は長野市松代町・大島博光記念館のアンネのバラ)

 

なぜ、この松代で「アンネのバラ」なのでしょうか。

差別をすることも、戦争をすることもないバラは、この地でなにを語っているのでしょうか。

松代大本営

松代大本営は、アジア・太平洋戦争末期の1944年夏に、本土決戦」を叫ぶ旧日本軍が最後の拠点として、東京から現・長野市松代町に、大本営、政府各省等を極秘のうちに移転することが計画され、建設が行われた地下軍事施設群。工事は鹿島組と西松組が請け負い、主に朝鮮人労働者が従事。日本人も国家総動員法に基づき勤労動員され、学徒勤労動員もありました。

工事に組みこまれると、生きるか死ぬかの強制労働が課せられました。死傷者が相次ぎましたが、遺体の行方すらわからないなど、犠牲者の数や実態は明らかになっていません。

沖縄の地上戦は松代大本営建設の時間稼ぎの持久戦でした。

山根昌子さん

山根昌子さんは1939年生まれ。父は朝鮮人、母は日本人。第二次大戦末期、父は松代大本営の工事に動員され、一家で朝鮮人飯場に住まわされていました。

1960年、一家は北朝鮮に渡ることになりましたが、山根さんはどうしても見知らぬ国で暮らす決心がつかず、一人日本に残るりました。その後、結婚・出産・離婚、東京で懸命に子どもを育てました。

幼い頃から貧困とヘイトスピーチに苦しめられてきた山根さんは、「戦争」も「朝鮮」も忘れたい言葉でしたが、松代大本営について書いた「キムの十字架」(和田登・作)と出会い、真相を究明する決意を固めました。

新しい証言などを次々と発掘、松代町内に「慰安所」の存在も確認しました。

1993年、山根さんは病のため急逝しました。54歳でした。

キムの十字架

「キムの十字架」(明石書店)は、和田登・作の小説。アニメ映画化もされました。

アジア太平洋戦争の末期、朝鮮南部の村に育ったキム・ジェハとキム・セファンの兄弟。ある日、セファンが聖書の豆本を拾ったことから、教会に通うようになります。日本政府によりキリスト教が弾圧されていたことから、父親はセファンの将来を心配して、遠くの鍛冶屋に預けます。数年後、ジェハは日本に強制連行され、松代の大本営工事現場で働きます。

戦後、朝鮮人労働者たちは解放されましたが、ジェハは帰国寸前に、セファンもこの大工事の別の現場に連行されていたことを知ります。必死にセファンを探し回ったが、セファンは鍛冶屋の親方の身代わりとなって日本に来て、今度は同胞の身代わりとなってダイナマイト爆死していました。それを知ったジェハは、壕内の岩盤に心を込めて十字架を彫り、やがて、弟の魂は故郷に帰りました。

小説のラストシーンでは、日本人牧師が、弟が板切れに書き残したハングル文をジェハに教えます。朝鮮人には日本語教育が強制され、ハングル文字が読めなかったのでした。


日本農業新聞2012年7月15日
日本農業新聞2012年7月15日
0 コメント

伊藤千尋さん講演『今こそ九条を活かすときー世界が求める真の積極的平和』(戦争する国にさせない 12・11ながの市民のつどい)

ダウンロード
伊藤千尋さん講演レジメと資料.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 49.2 MB
0 コメント