「信州に関わる戦争について書こうとする時、松代大本営建設で連行された朝鮮人と地元住民の苦しみ、そして満蒙開拓は欠かせない」(児童文学作家で映画「望郷の鐘」原作の和田登さん)

10月28日、信州の戦争の歴史に詳しい和田登さん(児童文学作家、映画「望郷の鐘」原作)のお話を聞く会をおこないました。テキストに和田さんが書かれた「キムの十字架 夏海の、これから」。

 

この小説の「高子バーバ」のモデルになっているのが山根昌子さんです。

 

“山根昌子(やまねまさこ)さん、1939年生まれ。父は朝鮮人、母は日本人。第二次大戦末期、父は松代(まつしろ)大本営の工事に動員され、一家で朝鮮人飯場に住まわされていた”

“彼女は東京で模型店を経営しながら、懸命に子どもを育てる。『戦争』も『朝鮮』も忘れたい言葉だった。だがある日、松代大本営について書いた本と出合い、逃げずに自ら真相を究明する決意を固める”

“ここで一体どれだけの朝鮮人が犠牲になったのか。その一人一人が名前を持ち、家族や友人がいて、温かな血の流れるかけがえのない人間だった。せめて真実を明らかにし、彼らの魂を手厚く弔いたい-。遺体の行方すらわからない松代大本営の闇に、山根さんは挑んだ”

(コラム「南風」 山根昌子さんの憤死 - 琉球新報2012年8月28日)

 

 

「松代大本営について書いた本」というのは、和田さんが書いた小説で、アニメ映画化もされた「キムの十字架」。日本軍によって弾圧された朝鮮人の若者の眼を通して戦争の犠牲となった朝鮮の人々の姿が描かれています。

 

和田さんは、「信州に関わる戦争について書こうとする時、松代大本営建設で連行された朝鮮人と地元住民の苦しみ、そして満蒙開拓は欠かせない」「戦争を考えるときに、どうしても落としてしまうことは、加害者の側に立った想像力を働かすこと。戦争を題材にした多くの児童文学作品がありますが、それらは兵隊になって戦争に出て行ったお父さんを失う悲しみを描いているが、その出て行った兵隊たちがなにをしたかは描かれていない。向こうにいって何をしたかという実態をもっともっと私達は知るべきだと思います」と言います。 

長野市誌第6巻(2000年編纂)から

“地下壕掘削工事の主要な労働力は、日本国内にいた朝鮮人労働者と朝鮮半島から強制連行されてきた朝鮮人によるもので、合わせて多いときで7000人といわれる(朴慶植)。朝鮮人強制連行調査団の記録では、5回にわたって計4000人が連行されてきたとしている。このほかに東部軍作業中隊などの日本兵と周辺の市町村から徴集された国民勤労法国隊、大学高専生と地元中等学校生、国民学校生などが勤労奉仕に駆り出された”

 

“労働者たちはドリル(ロッド)で岩に穴をあけダイナマイトを穴に仕掛けて爆破し、ツルハシ・シャベルで石屑(ずり)をトロッコに載せて坑外に出すという原始的な作業を続けた”

 

“朝鮮人労働者は劣悪な三角兵舎などの住居にくらし、高粱、大豆、麦、とうもろこしの粉などの粗食で一日2~3回交代の長時間労働に堪えた。そのため作業による事故死・栄養失調に苦しみ、格別寒かった昭和19年冬から真夏の20年敗戦まで、きびしい監視化で労働に従事した。犠牲者は諸説あるが正確な数字はわからない”

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コメント: 1
  • #1

    あっこ (火曜日, 01 11月 2016 00:07)

    「海外へ出て行った日本兵たちがなにをしたかは描かれていない。向こうにいって何をしたかという実態をもっともっと私達は知るべき」の部分、その通りだと思います。
    「太平洋戦争で日本人は310万人死んだが、海外で日本軍は2000万人殺した」とのこと。これについて、日本人はもっと深く反省し、該当国へ謝罪するべきと思います。