共謀罪で一番恐ろしいと思っているのは、権力の暴力装置に本気のスイッチが入ってしまうこと(フリーライターの清水浩一さん)

いま国会で審議され衆議院で明日にも採決が予想されている共謀罪(テロ等準備罪)は、私たち市民にとって本当に危険な法律です。この法案が成立した場合、私が一番恐ろしいと思っているのは、権力の暴力装置に本気のスイッチが入ってしまうことです。

 

政権に批判的な市民が参加するこうした運動を、話し合っただけで捜査対象にできるのが共謀罪です。そして共謀の罪名によって私たちを直接取り締まるのは警察です。この共謀罪を成立させてしまうと、その後の警察の暴走に歯止めがかからなくなる、私はこのことを最も危惧します。

 

共謀罪は戦前の治安維持法にも等しいと言われます。戦前のあの時代、私たちがよく知っている作家の小林多喜二は『1928年3月15日』という作品の中で、特別高等警察いわゆる特高が、治安維持法違反として逮捕した市民、教員を含む労働者や宗教者までも、起訴するために、徹底した拷問で自白を強要することを痛切に批判しました。

作品の中での批判に対して、特高はそれを書いた多喜二自身を眼の敵にし、逮捕に及ぶや目を覆いたくなるほどの拷問を彼に加えました。その酷さは拷問死後に家族に引き渡された遺体の写真を見れば明らかで、これはすでに取り調べなどではなく、特高による私的制裁、リンチでした。

 

先ほど言いました権力の暴力装置とは、すなわち私たちを共謀罪のもとに取り締まろうとする警察、とりわけ公安警察です。私たちを守ってくれるはずの優しいおまわりさんたちが、この法案が成立することで、犯罪者として私たちを取り締まる権力の暴力装置に豹変することもありうるのです。

すでにこの共謀罪を先取りするかのような公安警察による捜査は始まっています。大分県別府市での野党議員らが出入りする建物への監視カメラの設置、原発に反対する埼玉県加須市職員らの道路運送法を口実にした逮捕拘留。

こうした逮捕は、たとえ起訴されなくても、警察によって名前や職業、住所までも公表され、その時点で逮捕された人は、社会的に排除されてしまうのは目に見えています。

 

この共謀罪は、犯罪者でなくても、時の政権に異をとなえる個人を社会的に抹殺できるものです。私にはそれが狙いとしか思えません。人権無視も甚だしいと思いませんか。

表現の自由、内心の自由を法律で取り締まる社会は、民主主義国家では断じてありません。

私はいまアベ政権が強引に成立させようとしているテロ対策とは名ばかりの共謀罪に、絶対に反対します。