リベラルだった長野県が治安維持法によって戦争協力の模範県に。悲劇の歴史に学び「共謀罪」法案を廃案に

今井昌美さん(「2・4事件」学ぶ長野・上水内集会 地元実行委員会事務局長)のメッセージ

2・4事件は、1933年(昭和8年)2月4日を皮切りに、県下の教員、労働者、農民など600余名を、治安維持法違反を理由に検挙した事件です。この検挙者の中に教育関係者が230名含まれていたため、「教員赤化事件」としてフレームアップされて、ことさらセンセーショナルに全国に宣伝されました。

 

この頃は、昭和恐慌のなかで、1931年の満州事変に始まる日本の中国侵略が本格化し、国民を戦争に駆り立てる「非常時国民運動」が大々的に展開されていました。日本の侵略戦争に反対し、天皇制国家権力と厳しく対決していた日本共産党を弾圧するために制定されたのが治安維持法です。

 

しかし2・4事件で検挙された教師たちの中には、共産党関係者はほとんどいませんでした。貧困にあえぐ子どもたちを目の前にして、まじめに教育実践にとりくみ、教育労働組合運動に参加していました。また社会の矛盾に目を向け、哲学や社会主義を研究し、読書会を組織したりしていました。これらのことが無理やり治安維持法に結びつけられ、共産党を助ける行為と決めつけて弾圧したのです。いわゆる組織目的遂行罪といわれるものです。治安維持法に目的遂行罪が付け加えられてから、その対象は際限もなく拡大され、全国で数十万の人々が弾圧されることになりました。

 

今問題になっている「共謀罪」法案のなかに、この目的遂行罪が含まれています。したがって2・4事件のように捜査当局の判断でいくらでも、市民がテロ集団や組織犯罪集団と関係あると決めつけられ、弾圧される可能性があります。この法律が成立すれば、まず沖縄の基地反対闘争や原発ノーの運動などが対象になり、やがて政府に批判的なあらゆる運動や集会・デモまでが計画の段階から摘発されることになるのではないでしょうか。

 

2・4事件の結果、長野県だけでなく全国的に労働運動、農民運動が衰退して、日本の軍国化と侵略がすすめられました。長野県は戦争協力の模範県となり、全国一の満蒙開拓団と青少年義勇軍を送り出してあの悲劇を生んだのです。

 

安倍政権は「共謀罪」によって国民を黙らせ、憲法9条を変えて日本を戦争する国につくりかえることを狙っていると思われます。戦後廃止された治安維持法の復活、すなわち「共謀罪」は戦争への道であることを歴史は教えています。私たちは歴史の教訓に学び、二度と同じ暴挙を許してはなりません。

 

憲法を守り戦争させないために、「共謀罪」法案の廃案をめざして全力を尽くしてともに闘い抜きましょう。