「戦争やだよね、やだやだ」ー五七子さんが守ったシダレザクラ、幼なじみのみっちゃんのこと

今日、やだネットと飯綱町9条の会で、「石の鐘」の長野県信濃町・称名寺の見学と住職の佐々木五七子さんのお話を聞きに行きました。

 

五七子さんの後ろのシダレザクラは、戦時中の食料増産のために、切って畑にしようという計画があったそうです。ある日、白い腕章をまいた男4人組がやってきました。

当時15歳の五七子さんは「大切な鐘を奪われ、シダレザクラまでも奪われてたまるか」と、「あんなきれいなサクラを切るかわり、どれだけの食料増産ができるかしめしてください」と激しくつめよりました。「4人組はなぜかよくわからないけど帰って行ったよ」と五七子さん。

 

五七子さんは「聞いてほしいことがあるんだ」と話を続けました。幼なじみのみっちゃんのこと。

みっちゃんは、家族で満蒙開拓に渡り、一人生き残ったといいます。みっちゃんは中国人に4度も売られ、辛い思いに会い、井戸の中に飛び込んで自殺することも考えました。

そんなみっちゃんの救いになったのは、4回目の身売りで「お母さん」になってくれた人の存在でした。心底やさしくしてもらって、本当にうれしくなって「ずっと中国で生きていこう」と思った矢先に、引き揚げ船で日本に帰ることを説得され、帰国しました。

 

みっちゃんは帰国後、カトリックの仕事をするようになり、今は台湾に住んでいます。今でも「お母さん」への恩返しがしたい、と思い続けています。

 

みっちゃんが帰国するときは、五七子さんのところに泊まり、まるで小さいときのように仲良くお話しながら、いっしょに寝ます。

 

五七子さんはいいます。「みっちゃんはキリスト教、私は仏教。ムハンマドだって、キリストだって、仏陀だって、みんな『思いやりの心』を教えているよ。宗教は違ったって、気持ちはみんな一緒。戦争はやだよ」

 

※「石の鐘」の物語は、映画化された「望郷の鐘」の姉妹作品として和田登さんの手により、今年の7月に本として出版されます(かもがわ出版より)