やだネット長野

コロナ禍の病院の仕事(あらいぐま・医師)

コロナが流行してから、ひとつひとつの仕事にとても時間がかかるようになりました、急病の患者で、入院や緊急検査が必要な場合は、院内感染を起こさないために、問診や検査などにより、コロナの感染の可能性がないか判断が必要です。その時間がないときは、私たちが重装備して患者対応にあたらないといけません。その間に患者が急変しないか、ひやひやします。

感染のレベルが上がると、他職種とのカンファレンスも制限が必要です。情報共有が難しくなります。また、とても切ないのが、面会制限です。入院してから家族に会えない患者さんが大勢います。お年寄りには、オンラインの面会はなかなか難しいです。亡くなるときも、これまでのように家族みんなでみとっていただくのが難しいです。

食事をとる際にも、他の職員と話ができなくなりました。飲み会もなく、お互いの考えを共有する機会が減りました。

経済が悪化すると、患者さんの受診が遅れないか心配です。

『コロナ禍の中で演劇をやっていて感じた寂しさと喪失感』(松本市劇団であい舎団員S・K)

私は普段、松本市の芳川(よしかわ)公民館を拠点とし、年に一度のペースで約30年間公演を打ち続ける劇団であい舎に所属し、芝居をしています。劇団であい舎では『基盤は地方(ローカル)に、視野は世界(グローバル)に』を銘に嘘のない芝居づくりを目指し、昭和史などの勉強もしながら、主に社会派の作品を上演し続けてきました。

 

コロナウイルスが流行り出して、ウイルスの危険性が騒がれ始めたのが丁度今年の劇団の活動(公演を含めて)をどうしていくかを、劇団員同士で話し合っていた時でした。コロナの影響を危惧し公演は中止に。

 

毎年公演の期間中は、地元からはもちろん、県外からも多くの方達が公演に足を運んでくれて、会場の公民館は、いつもの公民館と違う少し特別な雰囲気の場所に変わります。

 

「やだ~!ちょっと元気だった?」

 

「今年もであい舎の公演を見に来られて良かったわね。」

 

「また一年元気に生きて、来年もここに集まりましょうね。」

 

お客同士の間でそんな会話が飛び交い、再会を喜びつつ、つらかった事と嬉しかった事、それぞれの一年分の出来事をお互いに報告し合う様な、ただ観劇をしに来るだけが目的じゃない、充実した交流ができる場に、公民館の一室が変わるのです。芝居を見て深く感動して、誰かと思いっきり話して、会場に来た時よりも元気な表情で帰っていく人達の姿を見るのが私は好きで、そんな姿を見ていると「今年も公演を頑張って公演をやって良かった。」と感じ、こちらも元気を貰えていました。コロナの事があったから仕方なかったとはいえ、今年はそんな大切な場所を作りだす事が出来なかった事をとても残念に、そして切なく感じます。

 

そんな状況の中ではありましたが、公演は中止になったものの、であい舎では回数を必要最低限に減らし、様子を見ながら劇団の活動を続けることに。しかし毎日の様にコロナウイルスのニュースが流れ、嫌でもコロナウイルスの情報が入ってくる日々が続くうちに、私の胸の内には、コロナウイルスや人と接触する事への恐怖心や猜疑心が生まれてきていて、であい舎のメンバーと、コロナウイルスが騒がれ始める前の様な距離感で交流をしたり会話をする事が出来なくなっていました。厳しい稽古を何度も一緒に乗り越えながら幾つもの世界を創りあげ、時間をかけて親しくなった相手を、疑いたくないのに疑ってしまう。怖がってしまう。それは劇団のメンバーだけではなく、劇団以外の他の人達に対しても同じでした。今は「コロナウイルスと共生していくしかないんだな。」という思いが私の中にあるので、必要以上にウイルスや人との接触を怖がらなくなったけど、あの時はその事が一番辛かったです。あの状況の中で私は簡単に人への信頼感を失いそうになったし、そんな自分の酷さを自覚し、また楽しく人と会える様になるまでに、けっこうな時間がかかってしまいました。今回気がついたそんな自分の一面にショックを受けたけど、その一面をしっかりと自覚して、今後は気をつていきたいと思います。そのうちに松本市内の公民館が休館となり、であい舎の活動も数ヵ月間止まる事になりました。現在は少しずつ、活動を再開させています。

 

たとえコロナウイルスが落ち着いたとしても、これからはきっと以前と同じ様なやり方や、距離感で稽古をしたり公演を行うことが出来ない。今までお客や劇団員同士で時間をかけて積み上げてきた、やり方や馴染みのある距離感を変えたり捨てなければ、芝居を続けられない。目まぐるしいスピードで変化していく演劇界や世の中の中で、正直、取り残されてしまった様な感覚と寂しさ、喪失感が私の中にあります。胸の内の情熱はそのままなのに、この流れやスピードに乗っていけない人達はどうなるのだろう。

 

このコロナ禍の中でリモート演劇等が生まれ、現在もフェイスシールドの様なものを利用したり、こまめな換気や人同士の間隔や距離に気をつけるなど、様々に対策や工夫が重ねながら演劇の稽古や公演が行われています。今回のコロナの様な事や戦争、他にも大きな事件がおこった時には一発で「演劇なんて必要ない!」「無くなっても誰も困りはしない!」と切り捨てられるか、権力者の道具に使われる危うさを演劇は抱えていると思いますが、「これからどうしていけば良いのか。」「今、自分達に出来ることは何か」を皆それぞれ考え、この状況の中で頑張っています。コロナ禍の中で演劇をやっていて感じた寂しさや喪失感から逃れる事は出来ないけど、私も自分に出来る精一杯の事や、やってみたい事をしっかりと考え行動にうつして、少しずつでも進みたいです。

 

少し話が逸れますが、コロナ禍の中でハッキリと見えてきた様々な課題はもちろん、戦争や憲法のこと、過去の過ちがなかなか活かされない原発や、環境破壊がジワジワと進行中の地球のこと、人知れず切り捨てられる人達がいて、亡くなる人が後を絶たない社会や世界を見ていると、この世界に対して終末を感じるし「経済成長」という言葉に虚しさを感じます。命の価値が経済成長よりも軽い今の仕組みの中での成長は、もう限界地点に来ていると個人的には感じています。今の様な社会を作ってきてしまった一人の大人として感じている、若者や子供達に対しての責任感はとても重たいものだけど、一日一日を一生懸命に生きている子供達や若者を見ていると、自分と他人の命の両方が大切なものだと実感を持てる様な、生きてて良かったと思える様な社会を遺してあげたいと、切実に感じるのです。

「憲法13条を読み直す」

“市民の間で憲法を学び直す動きが出てきた。長野市の田沢洋子さん(59)もそうだ。4年前の福島原発事故が政治への目を開かせた。特定秘密保護法の整備を安倍政権が強引に進めたことで、政治不信は深まった。思いを同じくする人たちと「秘密保護法やだネット長野」を結成、今年2月には「憲法かえるのやだネット」に名前を変えた。

 

収束の見通しが立たない原発事故、沖縄の基地問題、秘密法、新たな安保法制の整備…。田沢さんらは個人の権利が踏みにじられ、空文化していく恐れがあることに危機感を抱いている。

 

国民の権利を保障する憲法を政府や国会などに守らせる運動へと幅を広げるために、会の名前を変えたという。田沢さんは「13条に照らし、暮らしや社会がどうなっているか、点検することが大切だと思う」と話した。

 

 「国のかたち」を選び、決めるのは主権者の国民であることを忘れてはならない。それができるのも、個人の権利がきちんと守られてこそだ。そんな思いで13条を読み直したい”

(信濃毎日新聞2015年4月12日社説より)


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対話を重ねて「良心の自由」を育てる

「私はこう思う、あなたはどうですか?」という角度を大切にして取り組んでいる学習会は、2018年9月には、長野県を越えて岐阜県多治見市でもおこなわれました。根底にある問題意識は、以前、信濃毎日新聞に取材を受けて論説で紹介された「対話を重ねて『良心』の自由を育む」ということです。世界の多くで当たり前の自由なのですが、日本では憲法でわざわざ定められている「思想・良心の自由(内心の自由)」。現代の日本社会においても侵されやすいものとして見るべきだと思います。自分が、いい、やりたい、と思ったことは、縛られず、忖度もせず、のびのびと考えていいのです。

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「戦争をなくすために必要なこと」(元戦場カメラマン・石川文洋さん)

 人間というのは、月や宇宙にも行くし、深海にも行ったりするというすぐれたところもあるのに、過去の戦争の教訓を生かせない、愚かな点もあると思っています。

 

かつて日本の戦争が終わったときに、あれだけ「戦争はしない」と憲法九条をつくって、私も終戦のとき、小学校二年でしたが、本当に戦争というものは絶対にダメだと思いました。それが今、政府の人もそうだけど、一般の人も戦争からかなり離れてますよね。戦後直後のように、「戦争は絶対にイヤだ」とはなっていない。口ではそう言っていても、行動として、選挙で戦争をする国をつくろうとする人たちを選んでいる。それは戦争の教訓を生かしきれていないからだと思います。これは日本人だけでなくて、世界でもそうだと思います。

 

ベトナム戦争について、米国防長官だったマクナマラ氏が回顧録で、なぜアメリカが敗北したかを分析し、ベトナムの文化や民族を理解できなかったことだと書いていますが、私は戦争というものは相手を理解しないというところが大きな原因になっているというように思います。

日本の戦時中、私は沖縄人でありながら、朝鮮人を差別したり、アメリカ人については「鬼畜米英」と赤い顔してツノが生えたポスター、今でも私、覚えていますよ。そういう相手を理解していないことが戦争につながる。ベトナム戦争のときでも、アメリカ人はベトナム人は人間より落ちる土人、目がつりあがってですね、もう人間を人間として思わないで相手を殺していく。

戦争をなくすためには相手の国の一人ひとりの人間にはそれぞれの人生があるんだと、一人ひとりの人間を理解していくことです。軍事力では解決できません。軍隊は抑止力にならない、戦争をなくすためには地球上から軍隊をなくすことだと、軍隊がある以上戦争は起こるというように思っています。

 

私は日本の戦争がどういったものであったかを学びなおすことが大切だと思っています。そして私は、一人ひとりの人間の善意というものは信じています。そこに私は希望をもちます。この講演会に参加している人たちは戦争に反対してくれています、日本にも戦争に反対している人はたくさんいます。心強く思います。そういう人たちが広がって戦争はなくなる方向にすすんでいく、そう信じています。 

【信州・安曇野】「靖国には行かない」と特攻に散った上原良司が家族に別れを告げた場所で、私たちが感じたこと

安曇野の乳房川
安曇野の乳房川

特攻隊員・上原良司の妹、清子さんに聞き取りをしました。良司も清子さんも大好きだった安曇野の乳房川へ。ここは良司が故郷を離れるときに三度も「さようなら」と言って別れを告げた場所。

 

3人のお兄さんを戦争で亡くした清子さん。

───あの戦争はどうして始まったんでしょうね。

・・・・すみません。

・・・・皆さんは歴史に学び、自分の考えをしっかりもってください。 

 

※上原清子さんは、2018年9月にお亡くなりになりました。93歳でした。ご冥福をお祈りします。

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山本慈昭さんの精神を受け継ごう(映画「望郷の鐘」原作・和田登さん)

毎月19日の長野市のアクション、2016年8月19日は映画「望郷の鐘」原作者の和田登さん(長野市在住)から「山本慈昭さんの精神を受け継ごう」というメッセージをいただきました。映画「望郷の鐘」の主人公の山本慈昭さんは、長野県下伊那郡阿智村の出身。みずからも満州で過酷な体験にあいながらも、生涯を中国残留孤児たちの肉親探しにささげ、献身的な愛で支えました。

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松代大本営地下壕と説明板(案内板)の問題について

 松代大本営は、アジア・太平洋戦争末期の1944年夏に、「本土決戦」を叫ぶ旧日本軍が最後の拠点として、東京から現・長野市松代町に、大本営、政府各省等を極秘のうちに移転することが計画され、建設が行われた地下軍事施設群です。

 松代は海岸線から遠く、岩盤が堅いなどの理由で選ばれたとされています。象山、舞鶴山、皆神山一帯に独立した地下壕が掘られ、象山(イ地区)には政府、日本放送協会、中央電話局を、舞鶴山(ロ地区)には天皇御座所、大本営、宮内省関係を、皆神山(ハ地区)には食料庫を予定。壕の総延長は10キロを越え、終戦時には80%以上ができていました。

 工事は鹿島組と西松組が請け負い、主に朝鮮人労働者が従事。その数は強制連行と自主渡航による7千人前後と推定されていますが、工事犠牲者の数や実態は明らかになっていません。日本人も国家総動員法に基づき勤労動員されました。学徒勤労動員もありました。

 

児童文学作家の和田登さんは、長野市民新聞2014年8月26日付で次のように書きました。

“この工事の本質は、その工事主任であった吉田栄一大尉が憲兵の一員に告げた言葉「労務者は機械だ。あなたがたは人間だ。人間は口をきく。だから話せない」と、憲兵にさえ何の工事か明かさなかった言い方に表れている。人権を無視した労働だった”

“朝鮮本土で日本軍の収奪にあい、やむなく日本に渡航し、ここで働かざるを得なくなった人々を自主渡航組とよぶが、いったんこの工事に組み込まれると『連行組』同様、生きるか死ぬかの強制労働だった…ここに到着した形が強制的か自主かにとらわれると本質を見失う” 

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