やだネット長野

「コロナ禍の生活綴方」(コロナと暮らし実行委員会・やだネコ)

「コロナと暮らし実行委員会」は、県内の女性や母親、弁護士、社会運動関係者などによる実行委員会です。コロナ禍の「非常時」のもとでのテレビやインターネットの喧騒、こうした喧騒のもとに埋もれた切実な声や実態があるのではないか、この空白を埋めたいと思ったことが、「コロナ禍の生活綴方」をはじめたきっかけです。

 

生活綴方とは、ありのままの生活と自己を見つめ、感じていることを、自分自身の言葉で文章や絵で表現することです。

4月24日現在、31人が投稿してくれました。しばらく広げながら、冊子にする予定です

 

「皆、心が疲弊し、人間の嫌な部分が露呈している」「正直疲れた」(パート主婦)、「人が関わる仕事は収入がなくなるかもしれない」(美容師)、「心が少しずつ削られている」(看護師)、「底辺の人々に手を差し伸べるのが政治では」(ダブルワークをする主婦)…。編集作業を通じて向き合ったのは、多くの人がいま起きていることを消化できずに苦しんでいるという現実です。そのなかで、「友人らとの当たり前の日常がなくなってつらい」と記した20歳の大学生は、生活綴方の持つ力について、こう語っています。「生活綴方は生活に起こったことや五感からの刺激、感情を『見つめる』ことを必要とする。見つめて、記す。たったこれだけである。この『見つめる』行為が生活綴方の中心だ。そこに他人の視点は存在しない。自分に素直にならないと生活綴方は書けない。生活綴方は決して五感や感情を無視しない、むしろ歓迎する。そこが回復や前進につながるのではないか。コロナ禍の生活の変動や政治の無策失策からの回復に生活綴方は最高の手段だ」。

 

生活綴方は、ユネスコ学習権宣言(1985年)の「学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利」の実践だと思います、

 

生活綴方を集めることを通して、「女性・子どもといった立場の弱い人や普通の人たちの声を政治に届けよう」ということになりました。2021年4月の参院長野補選の立候補者に、「コロナ禍の生活綴方」を政策提言と一緒に渡し、考えを求めました。取り組みは、朝日新聞4月13日や、信濃毎日新聞4月22日のコラム「斜面」でも紹介されました。

 

実行委員会では、「『もっとつらく、我慢している人がいるんだから耐えろという空気』が社会に蔓延していないか」と話し合っています。みんな困っているし、いろんな「困っている」があっていいと思います。

学費減額を求める学生は、「自分自身の現状を認識し、自らの弱みとなる部分を正しく自覚した上で、他者の合理性に配慮する。そうした姿勢がより良い解決策を生み出すと信じている」とつづりました。白蓮坊住職の若麻績敏隆さんは「人間同士が差別し合い、争いあい、分断している場合ではない。コロナ禍が鳴らす自然からの警鐘に耳を傾け、エゴを超えて、思いやりの心を育み、未来を生きていく子どもたちのためにこそ行動しなくてはならない」と訴えました。非正規工場労働者の加藤太一さんは、「広範な市民による、自治・討議としての政治的活動こそが、憲法や法律の人間の苦境を救済する機能を引き出せる」と記しました。社会福祉士の志木碧さんは、「声をあげられずにいる子どもや保護者にいち早く気づき、支え合いながら社会にも働きかける仕組みができれば」と提言しました。

 

生活綴方で、「困っている」ことや願いを記録し、政治や行政に届けることは、「住民の声を聴く政治」に変えていくことだと思います。参院補選に立候補した羽田次郎さんも小松ゆたかさんも、「コロナ禍の生活綴方」と政策提言に対して丁寧にコメントしてくれたことは、私たちの取り組みの確信になっています。長野県などにも届けます。

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「憲法13条を読み直す」

“市民の間で憲法を学び直す動きが出てきた。長野市の田沢洋子さん(59)もそうだ。4年前の福島原発事故が政治への目を開かせた。特定秘密保護法の整備を安倍政権が強引に進めたことで、政治不信は深まった。思いを同じくする人たちと「秘密保護法やだネット長野」を結成、今年2月には「憲法かえるのやだネット」に名前を変えた。

 

収束の見通しが立たない原発事故、沖縄の基地問題、秘密法、新たな安保法制の整備…。田沢さんらは個人の権利が踏みにじられ、空文化していく恐れがあることに危機感を抱いている。

 

国民の権利を保障する憲法を政府や国会などに守らせる運動へと幅を広げるために、会の名前を変えたという。田沢さんは「13条に照らし、暮らしや社会がどうなっているか、点検することが大切だと思う」と話した。

 

 「国のかたち」を選び、決めるのは主権者の国民であることを忘れてはならない。それができるのも、個人の権利がきちんと守られてこそだ。そんな思いで13条を読み直したい”

(信濃毎日新聞2015年4月12日社説より)


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対話を重ねて「良心の自由」を育てる

「私はこう思う、あなたはどうですか?」という角度を大切にして取り組んでいる学習会は、2018年9月には、長野県を越えて岐阜県多治見市でもおこなわれました。根底にある問題意識は、以前、信濃毎日新聞に取材を受けて論説で紹介された「対話を重ねて『良心』の自由を育む」ということです。世界の多くで当たり前の自由なのですが、日本では憲法でわざわざ定められている「思想・良心の自由(内心の自由)」。現代の日本社会においても侵されやすいものとして見るべきだと思います。自分が、いい、やりたい、と思ったことは、縛られず、忖度もせず、のびのびと考えていいのです。

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「戦争をなくすために必要なこと」(元戦場カメラマン・石川文洋さん)

 人間というのは、月や宇宙にも行くし、深海にも行ったりするというすぐれたところもあるのに、過去の戦争の教訓を生かせない、愚かな点もあると思っています。

 

かつて日本の戦争が終わったときに、あれだけ「戦争はしない」と憲法九条をつくって、私も終戦のとき、小学校二年でしたが、本当に戦争というものは絶対にダメだと思いました。それが今、政府の人もそうだけど、一般の人も戦争からかなり離れてますよね。戦後直後のように、「戦争は絶対にイヤだ」とはなっていない。口ではそう言っていても、行動として、選挙で戦争をする国をつくろうとする人たちを選んでいる。それは戦争の教訓を生かしきれていないからだと思います。これは日本人だけでなくて、世界でもそうだと思います。

 

ベトナム戦争について、米国防長官だったマクナマラ氏が回顧録で、なぜアメリカが敗北したかを分析し、ベトナムの文化や民族を理解できなかったことだと書いていますが、私は戦争というものは相手を理解しないというところが大きな原因になっているというように思います。

日本の戦時中、私は沖縄人でありながら、朝鮮人を差別したり、アメリカ人については「鬼畜米英」と赤い顔してツノが生えたポスター、今でも私、覚えていますよ。そういう相手を理解していないことが戦争につながる。ベトナム戦争のときでも、アメリカ人はベトナム人は人間より落ちる土人、目がつりあがってですね、もう人間を人間として思わないで相手を殺していく。

戦争をなくすためには相手の国の一人ひとりの人間にはそれぞれの人生があるんだと、一人ひとりの人間を理解していくことです。軍事力では解決できません。軍隊は抑止力にならない、戦争をなくすためには地球上から軍隊をなくすことだと、軍隊がある以上戦争は起こるというように思っています。

 

私は日本の戦争がどういったものであったかを学びなおすことが大切だと思っています。そして私は、一人ひとりの人間の善意というものは信じています。そこに私は希望をもちます。この講演会に参加している人たちは戦争に反対してくれています、日本にも戦争に反対している人はたくさんいます。心強く思います。そういう人たちが広がって戦争はなくなる方向にすすんでいく、そう信じています。 

【信州・安曇野】「靖国には行かない」と特攻に散った上原良司が家族に別れを告げた場所で、私たちが感じたこと

安曇野の乳房川
安曇野の乳房川

特攻隊員・上原良司の妹、清子さんに聞き取りをしました。良司も清子さんも大好きだった安曇野の乳房川へ。ここは良司が故郷を離れるときに三度も「さようなら」と言って別れを告げた場所。

 

3人のお兄さんを戦争で亡くした清子さん。

───あの戦争はどうして始まったんでしょうね。

・・・・すみません。

・・・・皆さんは歴史に学び、自分の考えをしっかりもってください。 

 

※上原清子さんは、2018年9月にお亡くなりになりました。93歳でした。ご冥福をお祈りします。

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山本慈昭さんの精神を受け継ごう(映画「望郷の鐘」原作・和田登さん)

毎月19日の長野市のアクション、2016年8月19日は映画「望郷の鐘」原作者の和田登さん(長野市在住)から「山本慈昭さんの精神を受け継ごう」というメッセージをいただきました。映画「望郷の鐘」の主人公の山本慈昭さんは、長野県下伊那郡阿智村の出身。みずからも満州で過酷な体験にあいながらも、生涯を中国残留孤児たちの肉親探しにささげ、献身的な愛で支えました。

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松代大本営地下壕と説明板(案内板)の問題について

 松代大本営は、アジア・太平洋戦争末期の1944年夏に、「本土決戦」を叫ぶ旧日本軍が最後の拠点として、東京から現・長野市松代町に、大本営、政府各省等を極秘のうちに移転することが計画され、建設が行われた地下軍事施設群です。

 松代は海岸線から遠く、岩盤が堅いなどの理由で選ばれたとされています。象山、舞鶴山、皆神山一帯に独立した地下壕が掘られ、象山(イ地区)には政府、日本放送協会、中央電話局を、舞鶴山(ロ地区)には天皇御座所、大本営、宮内省関係を、皆神山(ハ地区)には食料庫を予定。壕の総延長は10キロを越え、終戦時には80%以上ができていました。

 工事は鹿島組と西松組が請け負い、主に朝鮮人労働者が従事。その数は強制連行と自主渡航による7千人前後と推定されていますが、工事犠牲者の数や実態は明らかになっていません。日本人も国家総動員法に基づき勤労動員されました。学徒勤労動員もありました。

 

児童文学作家の和田登さんは、長野市民新聞2014年8月26日付で次のように書きました。

“この工事の本質は、その工事主任であった吉田栄一大尉が憲兵の一員に告げた言葉「労務者は機械だ。あなたがたは人間だ。人間は口をきく。だから話せない」と、憲兵にさえ何の工事か明かさなかった言い方に表れている。人権を無視した労働だった”

“朝鮮本土で日本軍の収奪にあい、やむなく日本に渡航し、ここで働かざるを得なくなった人々を自主渡航組とよぶが、いったんこの工事に組み込まれると『連行組』同様、生きるか死ぬかの強制労働だった…ここに到着した形が強制的か自主かにとらわれると本質を見失う” 

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