山本宣治と記念碑の破壊を命じられながらも守りぬいた旅館経営者

 

民衆とともに生きた戦前の政治家、山本宣治。1929年3月、右翼に暗殺される4日前に農民運動を展開していた上小農民組合連合会の招きで、長野県上田市で講演。1000人を超える聴衆が集まり、感銘をあたえました。訃報に接した農民らが別所温泉に記念碑を建立。当時の警察は破壊を命じますが、旅館経営者の斎藤房雄さんが庭石に見せかけ、戦後まで保存しました。現在は別所温泉の安楽寺敷地内に再建されています。碑には「生命は短し科学は長し」と山本の座右の銘がラテン語で刻まれています。

2006年10月には斎藤房雄さんを顕彰する碑も建立されました。

これは百姓一揆の伝統であり、また、事件や歴史を伝え、記録を残し、活用する信州の記録文化です。

百姓一揆は数多あるなかで、信濃の国が日本一。その信濃では上田藩。百姓一揆と夕立ちは青木村から来るものと、里人語り伝えたり。

 

「青木村の郷土史家清水利益さんは、「昭和初期の農民運動も『昭和の義民』と位置づけ…山本宣治の影響も受けて活発に活動した昭和の青木村の農民運動に関しては、その村民気質を『直情的な正義感が時代を超えて流れ続けている』」(信濃毎日2004年6月25日)

「青木村では一揆の主謀者は手厚く葬られ、機をみて名誉回復が行なわれるようになる。村びとは自分たちの歴史を祠にきざんで語り継ぐことを怠らなかった…青木村青年会の『青木時報』も、その伝統を引き継いでいる」(信濃毎日2003年7月10日で井出孫六氏)