国家秘密、密約の本質を述べられた書籍に巡り会いました。先ずこれをご紹介します。
日米間で結ばれた秘密合意が政治的果実を得るために必要な嘘だったとしても、その嘘は長い時間をかけて、国民から知る権利を確実に奪い取ってきた。喪失の過程は緩慢で痛みを伴わない。失ったものの大きさに気が付いたときには、多くの人々が知ることを諦めている。真実はどうせ語られないので、提示される政策も信用できないが、受け入れるほかはないと考えている。結果が良ければ評価し、悪ければ批判するだけのことだ。 そこに主体的な選択など存在しない。知る権利を奪われることは、選び取る権利を失うことと同義だからだ。その意味で、日米同盟は存在してきたが、一度も選び取られたことはなかったと思う。多くの国民にとって、いつの間にか目の前にあり、支える理由さえ理解できない陽炎のような現象に過ぎない。 ・・・・「共犯」の同盟史 (豊田祐基子 著) 岩波書店 から・・・・・ |
戦後政府は、こんな政治手法を採ってきたのだと思わずにはおれません。
最初に、今回の秘密法の中味をみてみましょう。
国民の知る権利を奪うことを明示して開き直っている。軍事のこと、外国交渉については国民には教えない、アクセスもするなという。「秘密」とすれば、5年、30年、60年、120年、永久秘にすることだってできる。また、テロに関連つけた「秘密維持」に関連する事柄を「軸」とすれば、警察庁と都道府県警察との間には垣根がない。大きな一本の秘密保持関連の機構ができあがっていく。詳細は政令に委任するというものが多い。
では、この秘密法が歩き出したらどうなるでしょうか。
秘密はあるんだな。うす気味悪いから、いっそのことお任せでいい、国政には無関心がいいのだ、というような空気が蔓延しないだろうか。その結果といえば、先の豊田氏の著作にもある「提示される政策も信用できないが、受け入れるほかはない」ということになるでしょう。
逆に、政府は、秘密法をつくることによって、秘密はある、あってもいい、近寄らないのは当然だという「空気」を蔓延させようと狙っている。
秘密をつくること、守ることが重要だと宣言して明文化し、法律としてオーソライズさせました。「秘密をつくること自体を、国民・国会が承認したではないか」といって種まきをしました。そうすると、秘密は守るべきものだ、そこに近寄るなんてとんでもないという空気づくりは難しいものではなくなる。あとはどうにでもなるッ、というわけです。
このように「空気」を戦略的、段階的に作ってくる例は数多あります。例えば、武力攻撃事態法なんていう法が11年前につくられていますが、そこには「国民は、国及び国民の安全を確保することの重要性にかんがみ、指定行政機関、地方公共団体又は指定公共機関が対処措置を実施する際は必要な協力をするよう努めるものとする」と記載しています。戦争準備状態になったら国民が協力せよと明記してしまったわけです。その火種は、諸処の有事立法のときに踏み台として利用されていきます。
このように見てくると、秘密法の制定は、暗黒政治の種まきといえます。もしも秘密!秘密!秘密!に慣らされてしまうこととなれば、必ずジワジワと痛みが襲ってくる。この種まき手法の陰険さ、悪質さを糾弾し続けなければならないと思います。
黙っていれば思う壺です。空気つくりに手を貸すことになってしまう。
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