安保法制に関連して重い刑罰をつくればつくるほどに、共謀罪が連動して当然に増える。それによって、激しい監視社会になっていく

※2014年8月14日の文章です。2015年9月19日に安保関連法が成立しました。教育現場での密告奨励の動きもすでにおこっており、共謀罪の創設は危険性がよりいっそう、うきぼりになってきたといえます。(2016年8月26日)

秘密保護法と共謀罪

秘密保護法で共謀罪の先取りをしました。特定秘密を漏らした公務員は10 年以下の懲役等々、重い刑を定めましたが、それを共謀したものは5年以下の懲役としています(25 条)

 

それによれば、特定秘密にアクセスしようとしていくと「共謀」との疑いを掛けられる。「犯罪は摘発しなければならない。共謀はつかみどころもないものだけれども、犯罪と決めたのだから見逃してはならぬ」ということになっていく。そこでは、尾行もいいだろう、盗聴も広く認めていこうとなる。そういう薄気味悪い空気が蔓延します。このように日常的な市民監視が当然とされ、強化されていきます。

 

新たに広く「共謀罪」をつくるということは、実は「監視社会へのステップ」ということができます。どのようにしてステップさせるのか。憲法秩序を破壊して集団的自衛を認めよう、そういう法体系にしていこうと狙っている安倍政権の動きに照らし合わせて考えてみましょう。

安保法制のたくらみと共謀罪

安倍政権はいろいろな安保法制をたくらんでいます。そういう中で、例えば「正当な理由なく基地の写真撮影をした者は5年以下の懲役とする」という法ををつくったとしましょう。これは、「長期(刑の上の限界)4年以上の刑を定めている罪」となりますから、自動的にその「共謀」も処罰されることになる。そうなれば、基地撤去の国民運動はどうなるでしょう。軍拡反対の運動は。

このように、こと安保法制に関連して重い刑罰をつくればつくるほどに、共謀罪が連動して当然に増える。それによって、激しい監視社会になっていく。

 

ここで注意です。共謀罪は詐欺集団、暴力団、テロに関係することを問題にするだけだ、そんな暗黒社会は予想しなくていいという宣伝が出てきます。要警戒です。

 

市民の相互監視、密告奨励が横行する

  政府が考えている共謀罪は、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」(2005年内閣提出法案。すでに廃案になった)をみるとよく解ります。
<法案の第六条の二>はこうなっています。


1項
次の各号ⅰ、ⅱに掲げる罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、その各号ⅰⅱに定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
ⅰ 死刑又は無期若しくは長期(=上限)十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪・・・・五年以下の懲役又は禁錮とする
ⅱ 長期(=上限)四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪・・・・・・・・二年以下の懲役又は...禁錮とする
2項
1項のⅰ、ⅱに掲げる罪に当たる行為で、団体に不正権益を得させ、又は団体の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、1 項と同様とする

 

つまり、日本にある刑罰規定の全体(600個以上あるといわれています)に網をかぶせて見回しておいて、「長期(刑の上の限界こと)4年以上の刑を定めている罪」を拾い出します。その拾い出した刑罰がいったい何罪なのかも問わず、「ある団体が、それを、組織的に実行させようということで、共謀をする」又は、「個人であっても、団体の不正利益を確保するために、それを、実行することを共謀する」という場合の全部を処罰しようというわけです。

 

その場合、具体的な事件発生の危険性があるかどうかまで考える必要はない。「共謀した」という事実だけをとらまえて「共謀罪」として処罰するわけです。さて、「長期4年以上の刑を定めている罪」なんて、数え切れないほど沢山あります。窃盗、横領、詐欺、建造物損壊、逮捕監禁等々・・何でもあり。ですから、例えば、労働組合から長時間団交の申し入れを「監禁罪」。その打ち合わせを「共謀」ということにすることだってやるのではないか。先ほど述べたように秘密保護法における刑罰も深く関わってきます。

ですから、①窃盗などの犯罪を組織的にやろうということを共謀するという場合だから個人は関係ないとか、②不正の利益を得ようとすることの共謀だから真面目な人には関係ない、なんていっておれないのです。安倍内閣のように、「黒も白」と言ってはばからぬ暴政のもとでは、情報公開要求、知る権利の行使の運動などをも、「不正の権益」といいって来るかも知れない。

さらに、これが大問題です!「共謀すること自体」を犯罪としてしまうのですから、当然、その「共謀」は厳重に摘発し、処罰しようということになっていくでしょう。治安維持の責任をもつ警察は、「共謀があったのではないか」「共謀がないように」という目で市民を監視します。監視をサボっていたら、警察の職務怠慢とされます。
刑事訴訟法239 条に、「官吏又は公吏は(公務員のこと)は、職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、(捜査機関に)告発をしなければならない」となっています。「共謀することも犯罪だ」と法律で決めるのですから、「犯罪とする

 

以上は、その共謀の早期発見、監視、捜査の機構を頑丈にしなければならぬ」ということになっていきます。公務員の皆が監視の任務まで負わされるということも、空想ごとではなくなる。
スパイ、おとり捜査も横行するでしょう。なぜかって? 法案では「共謀した段階で自首した者は処罰しない」といっているからです。おとり捜査に入った者は処罰しない、というわけです。
 

内心の自由、言論・表現の自由を侵害する憲法違反の法案

共謀罪は話し合うことが罪に問われるという、内心の自由、言論・表現の自由を侵害する違憲の法案です。

 

刑罰は「どういうことをしたときに、どういう罰を与えるのか」を明確にして法で定めなければなりません。そうしてできる刑罰は、刑法典だけでなく、税法とか公務員法とか、行政分野の多数の法の中に散りばめられています。ところで、刑事法学の基本原則ですが、被害を発生させる具体的な危険行為(実行行為)をしたときしか処罰してはならないとされています。ただし、実行行為とまではいかないけれども、かなり危険な状況までの行為をしたという場合も処罰する例があります。例えば、放火のためにガソリンを買うとか、人を殺すためにナイフを買ってきたとかいうときです。もし、マッチを使う、ナイフ...を振り回すという実行行為にまで入るとその被害もかなり大きいことが予想されています。そこで、準備行為だけであっても処罰しようというわけです(予備罪の規定)。

 

でも、殺そうと「思った」というだけでは処罰してはなりません。心の中は処罰してはならない。「話し合った」という段階でもそれを処罰しようということは許されません。話し合っただけでは、被害が具体的に緊迫しているとまで言えないからです。話し合って「合意までしたではないか」といっても、まだまだ心の中にあるだけの場合とほとんど区分けができません。そんなものは処罰してはならない。これが「共謀罪」の問題です。

 

人は、日常生活の中で法律に触れる行為を考えたり話しあったりすることがよくあるものです。しかし、話しあい、確認することと、実際に行動することは全く別のことです。冗談ということもあるでしょう。冗談もいえなくなってしまいます。

共謀罪の新設が認められたら、日本の刑法体系は根本からくつがえされることになります。

(元長野県弁護士会会長・和田清二さん)

ママの会信州リーフレット「知ってみよう憲法のこと」より