松代大本営案内板問題と歴史の修正を騙り歴史を捏造・歪曲・否定しようとする動き

長野市が「松代大本営地下壕」入り口に設置した説明看板の住民及び朝鮮人労働者が工事にかかわった部分中、「強制的に」の表記をテープで覆っていることが、8月8日の信濃毎日新聞の報道により問題になりました。市側は文字を覆った理由として「強制的」を否定する投書やメールが複数あったからだとしています。

いま、ヘイトスピーチが社会問題になったり、朝日新聞の「吉田証言」の誤報から「従軍慰安婦はなかった」...というキャンペーンがはられるなど、日本の歴史の修正を騙り歴史を捏造・歪曲・否定しようという動きが強まっています。こうした動きにこの問題をくみさせてはなりません。二度と戦争を繰り返さないために、私たちは戦争の被害の歴史も加害の歴史も、ともに忘れてはいけない、知っていかなければならないと思います。

松代大本営地下壕の公開は、太平洋戦争の遺跡として存在を多くの人に伝え、平和の大切さを後世に伝えることが目的とされています。だからこそ、案内板やパンフレットは政治的・行政的な思惑にとらわれずに、工事の本質を伝えるものにすべきです。

 

産経新聞で自身のコラムをもつ記者が乗り出してくる力の入れよう

産経新聞9月26日付では「ちょっと待ってもらいたい。確かに説明もなくテープを貼るという対応はお粗末だが、『強制的に』の文言を削除したことは間違ってはいない。『歴史的事実を曲げていた』のは、テープを貼る前の説明板の表記の方」「ここは明らかに事実に反する『強制的に』という文言を削除して、当時の労働の経緯については「さまざまな見解がある」という、現時点での客観的事実を付記するのが妥当だ」としました。http://www.sankei.com/region/news/140926/rgn1409260083-n1.html

 

この記事を書いたのは、高橋昌之氏。首相官邸キャップなどを経験し、コラムなどももっていた人で、今は産経新聞長野支局長です。

それにしても「ちょっと待ってもらいたい」のは高橋氏の方です。一体、どこから「明らかに事実に反する『強制的に』という文言」という結論が出てくるのでしょう。

 

強制的な工事の動員がなかったことをしめす文献や資料などどこにもありません。8月8日の市長定例記者会見でも、市観光振興課長補佐が「市としては、強制が無かったという見解を出しているわけでもないし、無かったかどうかも分からない。一部は強制もあったであろうし、強制が無かった部分もあるのではないかということ」と述べています。そもそも高橋氏自身が記事のなかで「強制的な動員がなかったというつもりはない」と言っています。

 

連行組も自主渡航組も生きるか死ぬかの強制労働だった

この問題を通して、全体として朝鮮の人々のいわゆる「強制連行」ばかりがクローズアップされる論調が目立ちましたが、この表記は「住民及び朝鮮労働者」となっており、強制労働や国家総動員法との関係からの記述といえます。

 

産経新聞の高橋昌之氏の記事では、「元の表記は松代大本営の工事に『延べ三百万人の住民及び朝鮮人の人々が強制的に動員され、』となっていた。この文脈では『延べ三百万人の労働者全員が強制的に動員された』ことになり、明らかに事実に反している。強制的な動員がなかったというつもりはないが、賃金などを目的に自発的に労働に参加した人もいたとの証言は現にある。元の表記から『強制的に』の文言を...削除するのは当然のことだ」とあります。

高橋氏の「強制的な動員」の使い方も、「強制連行」を指すものでしょう。

 

松代大本営の主要な労働力は朝鮮の人々でした。

長野市在住の児童文学者・和田登さんは、8月26日付長野市民新聞で次のように書きました。

「この工事の本質は、その工事主任であった吉田栄一大尉が憲兵の一員に告げた言葉『労務者は機械だ。あなたがたは人間だ。人間は口をきく。だから話せない』と、憲兵にさえ何の工事か明かさなかった言い方に表れている。人権を無視した労働だった」「朝鮮本土で日本軍の収奪にあい、やむなく日本に渡航し、ここで働かざるを得なくなった人々を自主渡航組とよぶが、いったんこの工事に組み込まれると『連行組』同様、生きるか死ぬかの強制労働だった…ここに到着した形が強制的か自主かにとらわれると本質を見失う」

 

地元住民の強制的な立ち退きの記録もあります。大本営工事に伴っては「朝鮮人慰安所」もありましたが、住民が村の駐在の要請で「慰安所」として貸したそうです。「小さい子どももいるから」と何度も断る住民に、駐在は「国策に従えないのか」と脅し、住民はしぶしぶ貸すことになったそうです。

 

wikipediaに見る歴史の歪曲。これが問題の背景に

松代大本営工事についての長野市の見解である「長野市誌第6巻」(2000年編纂)を見てみましょう。

 

「地下壕掘削工事の主要な労働力は、日本国内にいた朝鮮人労働者と朝鮮半島から強制連行されてきた朝鮮人によるもので、合わせて多いときで7000人といわれる(朴慶植)。朝鮮人強制連行調査団の記録では、5回にわたって計4000人が連行されてきたとしている。このほかに東部軍作業中隊などの日本兵と周辺の市町村から徴集された国民勤労法国隊、大学高専生と地元中等学校生、国民学校生などが勤労奉仕に駆り出された」「労働者たちはドリル(ロッド)で岩に穴をあけダイナマイトを穴に仕掛けて爆破し、ツルハシ・シャベルで石屑(ずり)をトロッコに載せて坑外に出すという原始的な作業を続けた」「朝鮮人労働者は劣悪な三角兵舎などの住居にくらし、高粱、大豆、麦、とうもろこしの粉などの粗食で一日2~3回交代の長時間労働に堪えた。そのため作業による事故死・栄養失調に苦しみ、格別寒かった昭和19年冬から真夏の20年敗戦まで、きびしい監視化で労働に従事した。犠牲者は諸説あるが正確な数字はわからない」

 

それではwikipediaを見てみましょう。

 

「徴用された日本人労働者および日本国内および朝鮮半島から動員された朝鮮人労務者が中心となった…当時飯場で賄いをしていた人からの証言では地下壕掘削のために働いていた朝鮮人労働者には1日に白米7合、壕外での資材運搬で働く朝鮮人労働者には白米3合が配給、他にそれぞれ麦やトウモロコシなどが配られるという破格の待遇であった。朝鮮人労務者は体が丈夫なせいかあまり風邪を引かず、規則正しく礼儀正しかったといわれる。家族ぐるみで働きに来ている者もおり、子弟は日本人と一緒に学校に通った。松代住民と朝鮮人との仲は比較的良く、朝鮮人が農業を手伝ったり、西条地区の強制立ち退きも手伝った。また朝鮮人名で預金通帳をつくることができなかったため、松代住民が代わりに名前を貸したという。また日本人と朝鮮人の恋愛結婚もあった。朝鮮人労務者の食事事情は(密殺した)牛肉を食べるなど、国内での炭鉱や土木工事などに徴用された朝鮮人労務者と比較して待遇面では悪くはなかったようで、日本人よりも良好だった」 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BB%A3%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%96%B6%E8%B7%A1#.E5.BB.BA.E8.A8.AD

 

なぜ、こんなにも違った記述になるのでしょう。

長野市誌は学者・研究者の長年の研究の成果といえるものです。歴史の本質的なところをズバリと書いています。

一方、wipipediaはすべてデタラメというわけではないのです。問題は本質的な典型事例をぼやかし、あるいはなきものにして、特殊事例を並べて都合のいい物語をつくっているところにあります。

 

「徴用された日本人労働者および日本国内および朝鮮半島から動員された朝鮮人労務者が中心となった」は、「徴用」は強制的な動員を意味しますから、日本人は強制的な動員であり、朝鮮人労務者は強制的ではない動員ということになってしまいます。これは意図的なものでしょう。「自主渡航は強制的な動員ではない」ということから、このように書いたのでしょうか。一方で存在したはずの朝鮮人労務者への「徴用」「強制連行」はなきものとなっています。

 

朝鮮人労務者の待遇についてのwikipediaの記述は、主に朝鮮人の飯場頭(親方)についてを抜き出し、並べたものと思われます。ここでまた労働形態の典型、本質ともいえる強制労働がなきものとされています。

地元の人々との交流があったというのも「工事現場の労働形態の典型ではなく特殊事例」と児童文学者の和田登さんはいいます。

 

東京大学准教授の外村大氏が、「同時代の史料から見て、割当募集や官斡旋段階においても、公権力を背景とした強制力によって労働者の充当がなされていた。したがって、労働者送出段階の実態、そこにおける国家権力が介在した暴力性の有無について、国民徴用令の適用による動員とそれ以外の動員を区別することは意味がない。あえてそれを区別し強調する論者に対しては、日本国家が朝鮮人に対して行った人権侵害を隠蔽しようという意図を持っているのではないかという疑いを抱かざるを得ない」(「朝鮮人強制連行―その概念と史料から見た実態をめぐって―」)と述べていますが、重要な指摘です。

 

このようにして、とても戦時中とは思えない歴史を歪曲した牧歌的な物語をつくりあげ、このwikipediaを論拠にして、インターネットで「案内板の『強制的』を削除させよう」とよびかけられている、これが長野市への抗議の背景になっています。