子どもたちへ伝えたい祖父母の戦争体験とママたちの思い

8月の長野市の19アクションは、子育て中のお母さん4人が戦後71年に寄せて、自分の聞いた戦争体験を元にスピーチしました。

<長野市在住、ちひろさん>

私は数年前に長野県に移り住み、長野県からどうして多くの方が満州に行くことになったのか、感心がありました。

満蒙開拓義勇隊として満州に渡った方のお話を聞く機会があり、とても心に残りました。

その男性は、お兄さんが軍隊に行かれたこともあり、「自分もお国の役に立ちたい」との気持ちから志願されたそうです。

私が強く印象に残った2つを紹介します。

一つは、敗戦後満州を逃げ惑うなか、襲撃にもあい、腹も減り幻覚や幻聴もあった。

共に逃げた仲間が一人減り、二人減り。

男性は私に、一日目、二日目と逃避行の様子を、地図を指し示しながら細かに説明してくださいましたが、どう聞いても空白の時間がありました。

私は何度か聞き返しましたが、その場面になるとただ、「むごたらしいこともあった。」とおっしゃるだけでした。

生き延びるために迫られた選択があったのかもしれないと感じました。

このように自分の戦争体験を語ってくださる方であっても、60数年たってもなお、他人には話せないことがあるのだと、その時感じました。同時に、そのような辛さを抱えながら語ってくれた強い意思も感じました。

そして、逃げた末に現地の人に助けられ、食事や住む場所も提供され、みんなとても良い人たちだったと。

それなのに、懐には常に小刀を隠し持っていました。それは、自分自身の身を守るためではないのです。

日本の国体を悪く言われることがあったら殺してやろうと思っていたというのです。「それだけ僕は軍国少年だったのですよ。ただただ純粋に、国を思っていた」とおっしゃっていました。

私はこれが戦争なのだと思いました。

こうした体験をきいたとき、今の教育に思いを馳せざるをえません。

いつだって戦争は、国をまもるためといってはじまります。そして駆り出されるのは若い人であり、子どもたちなのです。

だから私は、安保法制だけでなく教育のことも、例えば国のお金の使い方も、小さなことでも疑問を持ち流さないで、しっかり見てダメと思うことには声をあげていきたいです。

 

<長野市在住、なつみさん>

母方の祖母は私をとてもかわいがってくれていろいろな話をしてくれました。ほとんどは覚えていませんが、国会で秘密保護法が通って「戦争前夜のよう」と言われはじめたころ、ふと祖母の話を思い出しました。「おばあちゃんが若いとき、長野駅の近くの工場で働いていたら近くに爆弾が落ちて。おばあちゃんは慌てて逃げて無事助かったんだよ」。子ども心に「おばあちゃん助かってよかった」と思ったことを思い出しました。

恥ずかしいことに、この祖母の話が「長野空襲」だということを知ったのは本当につい最近のことです。今回この場でスピーチすることになり、初めて「長野空襲」というのを意識しました。

1945年8月13日、終戦の2日前に長野市内数ヶ所がアメリカ軍の空襲を受け47人が亡くなった。怪我人も大勢いたことと思います。生まれてからずっと長野市民なのに自分が「長野空襲」について何も知らなかった知ろうとしていなかったことに衝撃を受け恥ずかしく思いました。

 

<千曲市在住、千曲の母ちゃん>

 私は、自分の祖母だから、祖父だから。私に命を繋いだ家族のことだから。その体験に大小はないと思うのです。生きていなければ今ここに自分はいない。それだけが事実です。一本の川を挟んだ生死の分かれ道は誰にも選ぶことはできなかったはずです

ひたひたと生活に、あるいは教育に入り込んできた戦争の、71年目にしてまたその足音が、戦争を体験していない私たちに聞こえるのは、今改めて戦争を知ることでより強く感じるのです。

戦争の反省の上にできた憲法を変えようとしたり、戦争の加害の歴史を消そうとしたり、国際貢献と言って他国の戦争に協力したり、武器で儲けようとしたり。個人を「人」と見なそうとする今の社会は果たしてどこへ向かっているのか、私は考えたい。そしてそれが間違っている方向だと思うならば、声をあげていきたいと思います。

 

<長野市在住、さとえさん>

 祖父母の話を聞いたり、悲惨な戦争を描くテレビドラマや映画を見たりすると「こんな酷い戦争は二度とやってはいけない!」と痛いほど感じることができます。

でも、それだけで今の平和をどうやって維持していくことができるのでしょうか?

娘が中学生の時、日本史の授業で近代史の部分にはあまり興味が持てず、足早に通り過ぎてしまいました。テストのために史実だけを暗記し、「なぜ戦争が起こったか」について深く考えることはしていない気がします。

戦争が起こる陰にはお金と欲望が見えます。また、宗教や民族、文化の違いを認める事ができないという差別もあると思います。歴史の中で、いつでも戦争は、相手を尊重できず自分の欲を通そうとした一部の人々から始まっているように思うのです。

歴史の中で、もっと学ぶべきところはここにあると思うのです。

他国の戦争に参加するための安保法制が、日本の平和のために必要だという若者も大勢います。きちんと学んでいない人たちは、世の中の動きに何の疑問ももつことなく、自分で考えて判断ができず、時の政権の言うことを鵜呑みにしてしまうのかもしれません。

私自身も、そして子どもたちにももっと歴史や憲法を学ぶ機会をつくって、親や家族に左右されず色々な人の意見に耳を傾け、どの道をとるのが平和を維持していくことにつながるのか、自分で選び判断する力を身につけていってほしいと思います。

私の祖父母や当時の多くの人々は、国の言う事に従い、何も言う事が出来ず、ただ状況を受け入れるしかなかった。今は憲法で決めた通り、自分の意見を自由に発言できますが、それも改憲によってまた何も言えなくなってしまうかもしれない。

そうさせないためにも、親子で一緒に学び、平和を守っていきたいと思います。