「ああ 父さんよ御無事でと 今夜も 母さんと 祈ります」-戦意高揚と戦争との訣別と

「里の秋」

多くの人の愛唱歌「里の秋」の歌碑が、長野市松代のつつみ公園にあります。

作詞者の悔恨の思い

もともと、この詞は3番以降が大きく違っていました。

 

きれいなきれいな 椰子の島

しっかり護って くださいと

ああ父さんの ご武運を

今夜もひとりで 祈ります

 

大きく大きく なったなら

兵隊さんだよ うれしいな

ねえ母さんよ 僕だって

必ずお国を 護ります

 

 

作詞者の斎藤信夫が国民学校の教師をしていた1941年(昭和16年)12月につくられました。アジア太平洋戦争の始まりに、高揚感のなかで書き上げたと言われています。「星月夜」と題し斎藤は、長野市松代町出身の作曲家、海沼実に送りますが、その時には曲はつきませんでした。

 

1945年(昭和20年)8月15日、終戦。斎藤は、生徒たちに戦争でたたかうように教えていた事に強く責任を感じ、教師を辞めようと気持ちを固めたのでした。

「さよなら」という訣別の言葉

この年の暮れ、NHKは、復員兵や引き揚げ者たちを励ます特別ラジオ番組を企画し、海沼に依頼。海沼の目にとまったのが、「星月夜」でした。海沼は斎藤に電報を送り、復員兵や引き揚げ者にふさわしい内容とするように3・4番の修正を依頼しました。

 

「星月夜」は、もともと戦意高揚を基本に書いたもの。斎藤は悩みます。「木に竹を接ぐ」感覚で書いた3番。

 

さよならさよなら 椰子の島

お舟にゆられて 帰られる

ああ父さんよ ご無事でと

今夜も母さんと 祈ります

 

 

新しい3番によって生まれ変わった「里の秋」がラジオから流れると、反響が全国に広がりました。

斎藤の「教え子を戦場に送ってしまった」という悔恨の思いが、「さよならさよなら」から感じ取ることができます。

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コメント: 1
  • #1

    もっち (日曜日, 09 4月 2023 02:49)

    私は斎藤信夫さんの教え子の女性に学校でたくさんのことを教えていただき、沢山支えていただきましたその女性は学校のみんなを優しく見守ってくださいましたそこから斎藤信夫さんの優しさが身に染みてわかりました