私たちはこれからも歴史を学びます。ときに時間を使い、足を使い、孤独になり、そして今を考えます。小さくてもできる自分自身の行動とともに。

長野県中野市、高社山の麓にある谷厳寺には、憲法9条の碑が建っています。このお寺には学童疎開を受け入れた歴史があり、「二度と戦争はしてはいけない」の思いの結晶です。また、高社山から名をとった高社郷開拓団が「幸せになれる」と信じて国策の満蒙開拓にむかった歴史もこの地にはあります。そこで待っていたのはソ連侵攻でした。終戦後も終戦を信じられず、600余名の人たちが親が自分の子を殺し、大人同士で殺し合う「集団自決」に追い込まれたのでした。

12・19スタンディングアピールでのスピーチ(千曲の母ちゃん)

私は昨年の安保法制の問題から政治に目を向け始めた主婦です。この1年で見てきたものや感じてきたことがあります。

 

先日、松代大本営についてお話を聞く機会がありました。小学生のころ見学へ行きましたがその時の自分の感じたことはいつしか忘れ去り、だからこそまっさらな気持ちで向かい合うことができました。朝鮮人労働の話を改めて聞いたり、その後本を読む中で、私の中で、70年も前の顔も知らない人たちに対して、そして歴史が作った差別によって今もなお苦しむ人たちに対して。初めて。恥ずかしいけれど初めて。日本という国がしたこと。自分の生きてきた国がしたことの重みを感じ、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 

戦争の反省とは自分でも分かっているつもりでも、やはりどこかで戦争は昔の人がやったこと、ヘイトスピーチなどもやっている人たちだけが悪いという意識があったのだとおもいました。自分のこととして考える、想像する力が足りていなかったと気づきました。

 

憲法や教育基本法について知る中で原点にある「戦争の反省」を感じました。その一方、平和貢献や、平和利用という聞こえの良い言葉を使いながらも一番の根本である「反省」を抜かし、認めることさえも拒み、なかったことにしようとする歩みがあることも知りました。

 

戦争によって日本がしたこと。これはどんなに歴史の教科書から文字を消しても、行われた事実を消すことにはなりません。戦争の中で、その反省の中で、一番中心になるものは人の命です。失われた日本人の命も、日本人が奪った命も、その重みに違いはないのです。その重みに違いを付け、なかったかのようにしてきた人たちが、今日本人の命さえも軽視しこれは国際貢献だと言って戦場へ送り出しているのです。

命を産み、育む女性の一人として私はこれを許しません。

 

昨年発足したママの会のスローガンは「だれの子どももころさせない」です。自分のこどもを守るだけではない。誰のこどもも殺されたくない。誰かの子どもが誰かの子どもを殺させることもさせない。この言葉にはその覚悟があると、一人のお母さんが言いました。日本ができることは、命を捨てることですか?平和のためと言って誰かの命を奪うことですか?私は違うと思います。今、日本に必要なことは、もう一度、戦争を知ることです。それは戦争とは被害にあうことだけでなく、加害の立場にもなることを含めてです。南スーダンで少年兵になった子どもたちは、日本にとってどんな理由で敵とみなされるのでしょうか。日本が考える、ではないのです。相手から見て日本の自衛隊がどんな存在になるか、日本という国がどう見られるようになるかを考えてください。9条を掲げ、武器を持たずに歩んできた日本の役割は、もっと別の形で存在するはずです。

 

私のこの1年間は、知らなかったことを知れたという楽しいものではありませんでした。

知らなければよかったと思うことの方が多い毎日でした。女性や母親が運動をやっていることに対する社会からの見られ方もとても窮屈で、苦しく感じたこともありました。

 

私たちは流行に流され、目まぐるしい社会の変化に翻弄され、身の回りのことに必死で、真実を見つけるための時間を作ることも不可能かのような日常です。インターネットには真実のようなウソが真実のような顔をして溢れています。答えが欲しくて探してみても、また新しい情報に振り回され、疲れてきて離れようとしても置いて行かれる気がして手放せず、でもそれは信じる道を失いに自ら飛び込んでいるように感じます。人に会ったり、足を運んだりすることは時間も労力も必要です。けれどそこでの出会いや知り得た事実、対話を通して生まれた自分の考えはとても大切なものだと知りました。多くの誰かと同じだから正しいとか、他の人と考え方が違うから間違いとか、そういうことは問題ではないのです。

 

私はこれからも歴史を学びます。時に時間を使い、足を使い、孤独になり。そして今を考えます。小さくてもできる自分自身の行動とともに。