2017年衆院選

加計や森友、大きな問題が次々に出てきたにも関わらず「丁寧な説明」の代わりに出てきたのは内閣「総辞職」ではなく「総選挙」。野党共闘へ向け動き出した途端の希望の党やら民進党の分裂やらで半日単位で状況が変わる。誰が候補者になるの?どこの党からでるの?共闘はできるの?県連に電話しても分からない、候補者にも分からない。有権者が分かるわけがない。しかし、そういった一連のゴタゴタでクリアになってきたことは「形だけの共闘じゃあ意味がない」ってこと。そして、「この状況でも信念を貫いている人は誰」ということ。憲法遵守、安保法制廃止、私たちの強い想いを党や政局に流されず貫く人は誰かということ。

 

10月13日、「この選挙、どーなの?座談会」では篠原孝候補から話を聞くことができた。参加者は疑心暗鬼の中「選挙が終わっても希望にはいかない。何も失うもののない自分は信念を曲げたくないから無所属で」の言葉に表情が変わった。

安保強行採決から長野市トイーゴ前で取り組み続けてきた19日アクションは10月19日を野党と市民の共同街宣とした。市民と野党の連携の候補者から「統一の候補者」へ発展したんだと実感の中、心からの「篠原頑張れ」「野党は頑張れ」コールが響いた。そして何より選挙期間、選挙後の中で篠原さんの応援する人たちへの姿勢が変わるのを見た。心からの応援が候補者を変えることができることを知った。

 

選挙前日、子どもの参観日にママ友と話した。「何がどうなってるのか全然分からないよ」でも彼女は関心を持っている。賑わう園内の廊下で「ここにこんなにお母さんやお父さんたちがいても明日投票所にいくのはこの半分以下ってことなんだよね。もっと行かなきゃだよね」彼女がそう呟く。「選挙になると分からなくて何もできない」って言ったママ友もいた。本当にそう思う。でも3年前、私は政治の話ができる友達なんていなかった。そしてこの先もずっとそうだと思ったし自分自身も何となく投票し続ける有権者の一人だと思っていた。状況は何も変わっていない?そうではないと確信する。候補者に話を聞ける場がある。そして自分で作ることもできる。政治のことを立ち話でできる友達がいる。

 

投票率は相変わらず低い。でも中身は変わってきているだろうか。どれだけの人がたとえ当選しなかった人にでも「想いを込めた1票」ができただろうか。党や候補者の話に「ついていくだけ」の有権者ではなく候補者を押し上げ、変えていける有権者に私たちはこれからならなければいけない。選挙が終わりどこかまた政治任せになっていないだろうか。憲法改正議論がまた動き出す。今から動くのは政治家ではない。私たちだ。