コロナ禍を転じて福となすために。支え合いながら社会にも働きかける仕組みができれば(志木碧、社会福祉士)

私は、様々な理由から学校に行けないお子さんや、困難の中で養育をされているご家庭と関わっています。学校が再開に向けて動き出した5月頃は、先生方も苦労されながら学年ごと・地域ごとなど「分散登校」をしていました。特徴的だったのは、いわゆる「不登校」とされていたお子さんたちが、この間は割と順調に登校できていたことです。大きな集団の中で長時間過ごすことに負担を感じるお子さんでも、少人数で先生の目が行き届き、学校で過ごす時間が短い分散登校のような形なら、学校が居場所になりうるのだと知らされました。また、今までの校則が見直され、「マスクは白色でなければならない」などという決まりは必要なかったことが証明されました。夏の制服は紺色のポロシャツでも良くなり、今でも体操服での登校・授業を認めている学校があります。

 

一方で、コロナウイルス対策が定まらない中、対応が各家庭に任され、「コロナうつ」とでもいう状態になった子もいます。ウイルスがついているのではと気になり、ボトル1本分のせっけんを使ってもまだ手を洗い続ける、先生が消毒したトイレにも入れない、そして「自分が登校している間に家族がコロナで死ぬのではないか」と心配で学校に来られなくなるなど。また、感覚が過敏なお子さんはマスクをつけることが負担で外出できなくなりました。コロナを理由とする欠席を「出席停止」扱いにしたため、不登校傾向の把握に時間がかかったこともあります。さらに、自宅にこもってひたすらゲームやYouTubeに熱中し、生活リズムが乱れて登校できなくなった事例も多く見てきました。

 

こうしたご家庭の相談に乗り、訪問したり様々な機関と協力したりしながら、お子さんが本来持つ力を最大限発揮できるようにするのが私の仕事なのですが、コロナを理由に関わりを拒否されることもあります。信頼関係を築く前に「感染が怖いから」とシャットダウン(の口実に)されると、家庭の中の困難さに迫ることができません。

 

コロナウイルスは、人々の信頼関係とネットワークをも破壊していますが、それに輪をかけたのが政治だと思います。何にどれほど効果があったのか全く検証も反省もされていない「一斉休校」。子どもたちは進学・進級へのまとめができず、新学年になってからの2ヶ月も奪われ、学校再開後は駆け足の授業が行われています。根本的には学習指導要領を見直し、詰め込み教育を正す必要があるでしょう。私は地域で無料学習スペースの運営をしていますが、特に中学1年生の学習への負担感をひしひしと感じます。

 

最後にこれからを生きる子どもたちへ、コロナ禍を転じて福となすために考えたことを書きます。

1.子どもたちに少人数学級を――1クラスに40人では、物理的な距離もとれません。何より一人ひとりの子どもに目が行き届く教育を今こそ実現したい。先生方にも余裕が生まれると思います。

2.校則を含むルールを考え直す――例えば学生服は着たきりで洗濯もままならず、感染症対策としても疑問です。誰のための決まりなのか・本当に必要か、その決定過程に子どもも関われればいいですね。

3.誰もが助け合える社会に――「自助」と「自己責任」ばかりが強調される世の中は暮らしにくい。コロナ下で生活に困窮される家庭も増えています。声をあげられずにいる子どもや保護者にいち早く気づき、支え合いながら社会にも働きかける仕組みができればと思います。