決まりを守れない人に「憲法改正」を語る資格なし(ママは戦争しないと決めた実行委員会)

日本は平和ですか?

あなたは自由に生きられていますか?

今の日本でこの質問に心から「はい」と言える人は何人いますか?

きっと、一番多い回答は

「どちらかと言えば平和。どちらかと言えば自由」

だと思います。

学校や行政から送られてくる数々のアンケートにも必ず「はい、いいえ」の他に「どちらでもない」「どちらかと言えばそうだ」というありがたい選択肢が記載されています。

いわゆる、日本人向けの選択肢だなといつも感じます。

私たちはいつからこのありがたい選択肢のお陰で自分の意思決定を曖昧にしてもよくなってきたのでしょう。

今、沖縄の基地について、沖縄の人は「どちらかと言えば反対」「どちらかと言えば賛成」などではなく「反対」と言っています。それを無視して政府のやりたいように強行に埋め立てをするこの日本という国のどこが自由と言えるのでしょうか。今、自分は関係ないと思っている人は、いつか国の政策で身の回りの環境や生活に変化がもたらされそうになったとき、「どちらかと言えば反対」などという中途半端な声を聞き入れてもらえると思えますか?

そしてまた社会の様々な問題の共通として「個人の尊厳」が大切にされないということだと思います。長時間労働、外国人実習生、ヘイトスピーチ、女性軽視。

私たちは「人権を守ろう」と学校でいつも言われてきたけれど「自分の人権が踏みにじられたらどうすればよいか」を知りません。また、決まりがどうしてあるのか。誰のためにあるのか。何を守るためにあるのかを知りません。

「みんなが過ごしやすい学校のために」と言う理由がつけられた謎の校則を、守るべきものとして、時に守らない人を悪として、守れる人が「普通」で守れない人を「普通じゃない人」として、いつからか「なぜやったらいけないのか」などと考えることも必要とされず、話し合うことも許されず何もしなければ「平和」でいられるような錯覚を覚えてしまったのでしょうか。

国の最高機関が人権を守らない、憲法と言う法を守らない。そんな国であれば社会もまた人権を無視し人を人と扱わないでしょう。私たちは人権が何なのかも侵されているかも気づかず、ただただ苦しみ、もがき、これは自分のせいだから、自分が変わればいいなどと助けを求めもせず、どこに助けを求めたらよいかも分からず時間を削り、幸せを削り、そんな人生のどこが自由と言えるのでしょう。また、そういう人たちを知りながらも「私は大丈夫、私は関係ない」と言えるのでしょうか。

大人が幸せじゃなかったら、子どもは幸せにはなれません。国がきちんと守るべきものを守らなければ、社会もそうなるでしょう。

人が人として、個人として、幸せになったり、その人らしく生きていけること。

今のこの国にはそうできない人の方が多くいるように感じます。

私はまだ自由が残されたこの国で、声をあげていきたい。

今の日本は平和では「ない」と思うから、声を上げます。誰かと一緒に学んだり話したりしたから希望が生まれ、行動するきっかけになりました。

今大事なことは法律や憲法を守っていない人に言葉でちゃんと伝えることだと思います。「子どもだって守ってるんだから決まりをちゃんと守りなさい」と。

決まりを守れない人に「憲法改正」を語る資格はありません。