コロナウイルスへの感染者がじょじょに増え始めた2月末、学校現場ではあとわずかで終業式、卒業式を迎えるため最後のまとめの日々でした。卒業生を送る会の練習は仕上げに入り、少しずつ卒業モードに教員も子どもたちの気持ちも向かいつつありました。
それが突然の国からの休校要請。自治体でもそれぞれに式典をどうするかなど決めていたであろう最中の首相からの会見で一変。生徒がいなければ仕事にならないいわゆる再任用や非常勤、パートなどの学校従事者、給食センター職員は突然仕事を失いました。幼稚園も同様です。
また、親が子どものために休むことへの補償など、何ひとつ明確なものはなく3日後の月曜日からの休校へ保護者も教員もひたすら動いたわけです。そして3学期のまとめもそこそこに生徒たちは残りのテストをやりまくり、卒業生を送る会の練習を発表する場も失われ、全て「仕方ない」「決まったから」と学習の場を失いました。
もちろん、コロナウイルスに対する注意は日本国内のみならず世界中で必須ではあります。
しかし、国外で様々な補償も検討された上で出されているものがあり、日本の対応と異なります。
大量の荷物を抱えた子どもたちが持ち帰ったのは大量の宿題でしたが、それをやることが単に「学習保障」と言えるものなのか、疑問でなりません。
狭い範囲で生活をするこどもたちは学校へいく機会を失いましたが、満員電車は毎日何百回と動き、会社でも多くの大人が働き、広範囲で動いています。
行き場のない子どもたちの中には、1日体も動かさずゲーム三昧、動画三昧、昼夜逆転、運動不足、様々なストレスなど抱えている子がいるかと思います。改めて、このような緊急的に日々の暮らしに制限がかかる時、それは憲法で保障された私達の人権の制限であることを認識し、簡単にされていいものではない、と思わなければならないところなのです。
しかし、今回のような場合、休校中も保育園や児童館は開いていましたが、もし、その自治体の中で1人でも感染者が出てしまえば、その場も奪われてしまうほど緊張感の高い中で保育や学童が行われています。
大人がウイルスを運んでしまえば子どもたちはもっと窮屈になります。
国としてはこの状況の中で社会に対してどん補償が必要なのか、よく考えてから発信してもらいたいし、大人としては、みんなが気をつけ合い感染を減らしていけるよう努力していく必要を感じます。また、検査についても、日本では他の国に比べ検査体制や件数が限られています。
もう、国内での感染が広がっているのにも関わらず未だに検査対象の項目には武漢へ行った人などの文言が書かれています。また今日の信毎にも、病院で医師が検査を必要としたにも関わらず保健所が検査を認めなかった件数は290件にも及びました。もしこの中に感染者が含まれていたとすれば今後もこういった未検査感染者がウイルスを広げてしまうし、無症状、無自覚の感染者からの広がりも懸念されます。
IOCもオリンピックについて開催を全員賛成したとのこと、日本としては今の検査体制の中、7月まで誤魔化していった時、日本を発症としたオリンピック後の世界中へのコロナウイルスのパンデミックが起きないか私は不安です。
佐川問題を始め日本の隠蔽体質が世界をも巻き込まないことを国民の1人として食い止めていきたいと思います。