政治家も大人も学校も 「心のまんなかに憲法を」 「子どもたちの未来に憲法を」(千曲の母ちゃん)

長野市5・3憲法記念日アクション
長野市5・3憲法記念日アクション

私は毎日、新聞を読みます。子どもたちには「とっても頑張ってると、ここに載るんだよ」と話します。 先日1面を飾った福田元事務次官の写真、3面には麻生さんと安倍首相を見て「この人だれ?」と聞かれたので「悪い人だよ」と教えました。 「悪いことしても新聞に載るんだよ」と話をしました。 私はもっと、子どもが見た時に「この人はこんなことを頑張ったから載ったんだよ」と話せる機会を増やしたいです。 少なくとも国民の代表である人、中枢にいる人が1面を飾るのなら良いことで載ってほしいんです。 恥ずかしくて「この人はみんなの代表だよ」なんて言えませんでした。 

 

4月に入学した一年生が、教室で先生になんて言われているか知っていますか? 「こんなこともできないなら保育園に戻りなさい」って言われるんです。 三年生は「もう2年生じゃないでしょ」 四年生は「もう高学年でしょ」 六年生は「もう最高学年でしょ」 って、毎年毎年、学年が上がる度に言われるんです。 でも大人になったとき 「もう大人なんだから」っていう自覚、どれだけの人が持っていますか? 安倍さん、麻生さん、自民党の皆さん、もう大人なんだから、うそをつかないとか、憲法守って政治をしなきゃいけないとか、 大事な文書を書き換えちゃいけない、とかそんなことも分からないなら1年生からやり直したらどうですか? 1年生でも、お友だちが発言している時に寝てるとか、椅子にふんぞり返ってヤジ飛ばすなんて誰もやりませんよ。申し訳ないけれど、保育園あたりからでお願いできますか。

私たちも「もう大人なんだから」おかしいことがあったら「おかしい」ってちゃんと声に出して変えていきませんか? 小学校で頑張っている未来を担う子どもたちが新聞を読んだときに「大人ってかっこいいな、早く大人になりたいな」って思えるような社会にしませんか? 

 

学校で大事なことは決まりを守ること。大人に逆らっちゃいけないこと。先生の給食は一番に盛らないと怒られること。 決まりは最初に先生から与えられて、子どもたちは有無を言わずに従わなければいけません。 授業では先生がいつも答えを教えてくれます。 喧嘩したら先生が解決してくれます。 先生が怒ってくれるから言いつけます。 先生はそれを「たよられている」と感じます。 

そして社会に出た私たち大人は「もう大人なのに」いつも誰かから答えをもらおうとしています。 多くの人が言ってるとそれが正解だと思って合わせようとします。 誰か肩書きを持つ人が言ってるとそうだそうだと同調しているのはネトウヨだけではないはずです。

 

おかしな決まりや、新しく作られようとしているおかしな法律にも『決まっちゃったら守るのが当たり前』の大人になってしまっています。 待つのはもうやめましょう。 答えを与えてくれる先生は社会にはいません。ネットのなかにもいません。 一緒に考える仲間が必ずいます。 たまには一人になることもいいでしょう。 色んな見方や意見を自分で調べて考え抜いたら。自分の中で納得のいくものが見えたら、それが「あなたの答え」でいいんです。 足を使いましょう。時間も使うでしょう。 でも、一歩一歩歩いていけば、いつかたどり着くはずです。 次の世代かもしれない。 その次の世代かもしれない。 今をこれ以上悪くしないことしかできないかもしれないけれど、それでもゼロじゃない。

 

教科書に出てくるスイミーのように、みんなが同じ場所で1つに集まって大きな魚にならなくても、ひとりひとりが今いる自分の場所で小さな繋がりを大切にすれば、小さな変化はやがて大きな変化へつながるでしょう。 先生たちも、子どもが大人になったときに答えを待つ人間にしないでください。 最初からルールは変えられないと教えないでください。多くの人が言うことを「正解」だと決めつけて同調していくような人間にしないでください。 ネットで調べさせないでください、少なくとも一番最初にくるものが正解だとは教えないでください。 今の社会のこの無関心だらけの大人を作ったのは学校教育の大きな残念な成果ではないでしょうか。 もう、そろそろ変えませんか?

 

政治家も大人も学校も 「心のまんなかに憲法を」 「子どもたちの未来に憲法を」

憲法記念日の今日、私は今、この状況だからこそ、我慢することなく、周りの空気も読まず、言います。言いたいことを言える場所があるから。自由に思ったことを言葉にできるから。

私たちがここに立ち声を上げている今は、明日への希望です。未来への小さくても一歩になっていると信じます。