アメリカの公教育から安倍首相の「教育再生」を考える(長野県教組委員長・高木義隆さん)

先週の11月10日、11日と教育研究集会が上田市で開催されました。多くの教職員、保護者、市民の皆さんが参加していただきました。

初日に、記念講演がありました。そこで話されたこと、私の感じたこと、考えたことをお話ししたいと思います。

 講師は鈴木大裕さん。16歳で米国に留学。そこで大学、大学院を修了。日本に帰国し公立中に英語教諭として6年半勤務。その後 再渡米し、公費奨学生としてコロンビア大学教育大学院博士課程へ。現在は高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組むかたわら、執筆や講演活動を行っている若手の教育研究者です。

 

日本はアメリカの教育改革を後追いしていますが、アメリカの公教育はすごいことになっています。大裕さんの娘さんがニューヨークで小学校に入学します。ニューヨークでは入学する前に20校から選ぶそうです。

アメリカは固定資産税が教育予算のベースとなっていて、地域間の経済格差が義務教育の質の差として歴然と表れるそうです。つまり、地価の高い裕福な地域では、教育予算が潤沢なため、公立学校でも私立顔負けの学校設備やスタッフを揃えられる。逆に、地価の低い貧困地区では、ベテランの教員を雇う予算がなく、子どもの教育に十分と言える環境さえ整っていない学校も多い。だから、子どもをより良い小学校に通わせようとする親は、頑張って裕福な地域に引っ越すか、ダメ元で裕福な学区の数少ない空席を抽選で狙うしかない。ということです。

 

大裕さんは小学校を「選ばない」を選択したところ、娘さんは底辺の小学校に入学が決まったそうです。その学校は、貧困率が8割以上。5人に1人がホームレス。音楽先生がいない。美術の先生もいない。体育の先生もいない。図書館もない。かたや、200mしか離れていない隣の小学校は、体育の先生以外にバレーを専門に教える先生がいる。音楽の先生以外にバイオリンを教える先生までいる。屋上に畑があり、理科で使う野菜を育てている。さらに、給食を作ってくれるシェフもいる。両方とも公立小学校です。公立小学校で学校徴収金が平気で年に70万円という所もあるそうです。

 

いつからアメリカでこのような格差が広がってしまったか。1983年にアメリカの公教育は危機的状態に陥りました。それを打開するために、とった選択は、教育を競争原理に委ね、公教育を市場化すること。「テスト」と「結果責任」を主体にした教育の徹底管理がおこなわれました。その結果、義務教育の序列化が正当化され、塾のような公設民営学校が設立されるようになった。学校のランキング本が出され、ついには新聞で教員ランキングも発表されるようになった。そうなると、経験豊富な教員は裕福な学校に配置され、貧困地域には最も経験のない先生が配置される状況になった。そうした先生でも授業が行えるように、学習スタンダードによる授業のマニュアル化、そして寛容性ゼロ(ゼロトレランス)の生徒指導が行われ、「低学力児」や「問題児」の排除が行われるようになった。

ある公設民営学校では各個人がブースの中でパソコンの画面に向かって学習する。その生徒130人を一人が監督する(パソコンの管理と寝ていたら起こす)という授業が行われている。学力テストとその結果責任という枠組みの中で教育を行うとすれば、教員そのものが必要なくなってくるのです。

アメリカの教育者のアーサー・コスタ氏は「教育的に大事で測るのが困難だったものは、教育的に大事ではないが測定しやすいものに置き換えられてしまった。だから今、我々は、学ぶ価値のないものをどれだけ上手に教えたかを測定しているのだ」と述べていますが、これがアメリカの公教育の姿。

 

ひるがえって、日本を見てみると、このような教育改革を後追いしているのです。大阪市では学力テストの結果で教員の給料に反映させ、また公設民営学校も2校開校しています。長野県でも、全国学力テストが学校教育をむしばんでいます。4月の忙しい時期に学力テストに向けて、同じような問題を行うテスト対策が当たり前のように行われています。全国学力テストが1ポイント、2ポイント低かったと言うことで、県教育委員会はこの秋に、プロジェクトチームを作り、全ての小学校に主事を派遣し、結果分析の見方を説明に回るということが行われました。

 

ここで考えてほしいのは、学力とはテスト点のことか、ということです。

音楽やリズムの得意な子、身体・運動能力が優れている子、対人関係力が優れていて、人柄だけで生きていけるよという子もいるのではないでしょうか。様々な人間の能力がある中で、テスト点という極端に狭く偏った土俵で勝負を強いられている子どもたち。多様な評価が学校にはあっていいはずです。

そして

・学校とはどんな場所であってほしいか。

・教員にどんな存在であってほしいか。

・子どもたちにどうなってほしいのか。

「子どもの幸せ」というものを軸に考え合いたいと思います。

安倍首相が言う「教育再生」は、子どもたちの幸せな人生につながるとは思えません。学校現場で奮闘したいと思います。