コロナ禍で奪った「教育を受ける権利」は重大な人権問題(養護学校教諭のTさん)

2月27日に安倍首相(当時)が突如表明した全国一斉休校の要請は、学校現場に大きな混乱を巻き起こしました。当時、私は小学部6学年を担任していました。卒業まで2週間余り。子どもたちと大切に過ごそうと考えていた日々が目の前から消え去り、大きなショックを受けました。

 

感染の拡大していない地域にまで一律に休校を要請することは科学的根拠に乏しく、また首相による要請に法的な強制力はありません。それでもほとんどの自治体が一斉休校の判断をしたのは、授業を続けて万が一感染者が出た場合の批判や責任問題に対する懸念があったのではないでしょうか。その一方で、憲法26条で保障されている「教育を受ける権利」を子どもたちから奪ったことに対する責任は誰も取りません。次第に、これは「子どもたちとの大切な時間が奪われた」という感情的な話だけではなく、重大な人権問題なのだということに気がつきました。

 

障がいのある子どもたちの中には、突然の休校によって生活リズムが崩れ、心身ともに不安定になったお子さんも少なくありませんでした。睡眠が不安定になり、パニックや自傷行為が出てきたなどの報告を各所から受けました。特別支援学校では、家庭の状況によっては「学校を居場所とする」ことも可能となっていましたので、毎日数名が登校してきました。その子たちには、なるべく普段通りの生活が送れるようにしたいと思い、たとえ1名のみの登校でもいつも通りに朝の会や帰りの会をしたり、通常登校のときと同じような日課を組んだりして対応しました。

 

臨時休校中も保護者の仕事の関係などで、放課後等デイサービスの事業所を利用するお子さんが多くいました。学校に比べて敷地も狭く「密」は避けられない状況であるにもかかわらず、福祉事業所では子どもを受け入れなければならないという方針に大きな違和感を覚えました。学校が責任を丸投げしているようで、申し訳なく苦しい思いでした。

 

6月以降、通常登校が始まり、学校に子どもたちの元気な声が戻ってきました。この間、ICT教育の必要性が声高に言われるようになっていましたが、今回の相次ぐ休校によってオンライン授業の必要性などがさらに強調されるようになりました。職員間でも、どのようなことができるか検討をしましたが、考えれば考えるほど実際の子どもたちの姿とのギャップが深まるばかりでした。学校という場所の価値を考えたとき、友だちや教師の存在は外せません。特に特別支援学校小学部の子どもたちにとって学校は、遊びや実際的な体験を通して人やものと触れ合ったり、人とかかわることの楽しさや心地よさを学んだりする大切な場です。オンラインや自宅での学習をどうするかだけでなく、どのようにすれば安心して子どもたちが登校できるかを考え、感染拡大防止の手だてを最大限施しながら、学校での教育の機会を保障していくことが重要だと感じています。

 

最後に、日本国憲法で「教育を受ける権利」が保障された後も、障害のある子どもたちは就学免除・猶予制度の下、学校に行きたくても行けない時期が続きました。「社会に役立ちそうな一部の者を除いて、障害児に投資する価値はない」とされるなか、当事者、保護者、教師をはじめとする多くの人たちの運動によって1979年にようやく養護学校の義務制が実現しました。学校に行けることになった子どもたちや家族の喜び、学校に通い始めたことによってぐんぐんと発達していく子どもたちの姿など、当時の記録をからは学校の価値とその重みが伝わってきます。「新しい生活様式」のもと様々な制約もありますが、学校現場に身を置くものとして、学校が子どもたちにとって希望の場であり続けるために努力を続けたいと思っています。