沖縄の過酷な歴史と「命どぅ宝」(沖縄県島尻郡八重瀬町在住の平和ガイド、斎藤光枝さん)

長野県から修学旅行に来るみなさんのガイドもすることがあります。長野県の生徒さんたちは、平和学習をよくされているようで、熱心に話を聞いてくれる印象があります。

 

沖縄はかつて琉球王国として、対外政策としてはもっぱら平和外交と交易をつらぬいて、文化国家・琉球の地位を築いていました。

1879年、日本政府は、この地域が日本領土であることをはっきりさせるため、沖縄県を設置しました。その一連の措置が、いわゆる「琉球処分」です。

琉球王国の時代、日本の一県の時代、戦後アメリカの時代、そして再び日本の時代、沖縄は過酷な歴史をたどりました。

 

沖縄は、日本で唯一、住民を巻き込んだ戦場になったところです。

20万余の多くの命が奪われ、その中でも県民の犠牲者が軍隊より多いことが特徴です。

沖縄には「命(ぬち)どぅ宝」という言葉があります。「命こそ宝」です。

沖縄戦では男子が14歳から兵士に、女子学徒は負傷兵の看護など、勉強より訓練でした。

九州や台湾に子ども、お年寄りを疎開させたのは、戦争に邪魔になるものを追い払い、食料を確保するためでした。疎開先では衣食住に困り、弱い立場にあることから苦しみました。

 

戦争は軍隊をなによりも優先します。

日本で唯一、地上戦を体験した人々が、戦争につながるあらゆるものに反対するのもそのためです。

 

「天皇の国、日本が負けるはずがない。軍隊は住民を守ってくれる」と信じていた住民。しかし軍は本土防衛のため、持久戦に位置づけ、沖縄を捨て石にしました。

軍隊は国を守っても住民の命は守らない。戦争で家族を失い、家・財産を失った県民、戦後は27年間、異民族が支配し、強行的に基地を建設しました。なぜ沖縄だけに押しつけるのか。

全国土面積のたった0.6%しかないこの島に、全国の70.3%の米軍基地が集中しています。

基地があるゆえに、米軍の事件や事故は、本土復帰して6000件以上です。

基地は戦争の訓練です。人間が人間でなくなります。人間の心が破壊されます。アメリカでの銃乱射事件もその障害がほとんどです。

 

沖縄の県民の心は、「イデオロギーよりアイデンティティー」の心です。

沖縄の言葉に「ちむぐりさ」という言葉があります。相手の心を、相手の苦しさを分かち合いましょうという意味です。

そして「いちゃりばちょーでー」、出会ったら兄弟、国は違っても言葉、肌の色、宗教、生活習慣が違っても仲良くしましょうということです。

まさに平和の心だと思います

 

これは今問われている沖縄の課題、いや日本の課題です。

過去の戦争、今の基地問題、沖縄の民意が知事選選挙で問われました。

翁長前知事は、病とたたかっても最後の最後まで県民の意志をつらぬきました。

その翁長知事の遺志を継いで、8万票の大差をつけて玉城デニー知事が誕生しました。

 

戦争は平和のなかにつくられます。

来年の参議院選挙は、日本という国が「憲法改正」で本当に戦争する国にするのか、そして沖縄の辺野古基地をつくるのかが、私たち沖縄県民にとって最大の問題です。

 

玉城デニー知事を支えて、平和ガイドとして、また選挙アナウンサーとして、私も精一杯がんばります。