戦争は教育から始まる(安保関連法に反対するママの会信州・千曲の母ちゃん)

77年前の今日、太平洋戦争が始まりました。多くの人が知っています。

戦争の始まった本当の日はいつだろう、といつも考えます。

明確な日は分からない、と思います。

だって戦争は自然災害のようにある日突然起こりません。

人が、人の意志で、人を戦争へ向かわせます。そのための準備期間があります。私たちのような市民には分からないところで既に少しずつ匂う戦争の気配を感じた人たちが、いつかくるその日のために始める準備です。人々がもう「これしかない」と思わざるを得ない状態になった時、ついに太平洋戦争は始まったのです。

当時の政府は様々な戦争の法整備を進めると同時に教育への介入も進めてきました。

教育勅語も奉安殿も最初から強く義務づけられてきたわけではありません。少しずつ評価を加えたり、御真影を火事で焼いてしまい自殺した校長先生を美談にしたり、学校現場もまた「やらねばならぬ」状況へ追い込んでいきました。

大人は分かっていたはずです。少しずつ変化する強制力を持った体制に。

生まれる時代も場所も選べない子どもたちは毎日過ごす学校で教育勅語や唱歌、教科のあらゆる場面に盛り込まれる軍国色の中で素直に軍国少年、軍国少女に作り上げられました。

それは、当時の子どもだったからそうなったのではありません。今だって教育がそうすれば同じような軍国少年、少女になるでしょう。

国が、大人が、教育が、間違った道を進めば子どもたちは素直に巻き込まれていくのです。

戦争が終わった時、学校現場では教科書の黒塗りが行われました。

その時に子どもたちを目の前にはっきりと「間違ったことを教えてしまった」「全部間違っていた」と言えた先生は何人いたでしょうか。国は、教育全体は子どもたちに間違えを伝え、謝罪できたのでしょうか。

戦後73年、いまだに日本の公教育の様々な場面でみられる戦時中の軍隊の訓練のような集団行動や姿勢、号令、あいさつなどの慣習や、教科書での歴史、戦争での加害事実の全てを知ることのできない中で、教育現場での戦争の反省はまだ始まりもしていない宙ぶらりんの状態だと思えてなりません。

私は子どもにいつか戦争の話をします。

私は戦争を知らない子どもだったけれど、戦争を教えてくれる祖母がそばにいました。私の父も母も戦争を知らない子どもだったけれど、知ろうとする大人になりました。

戦争を知らない今の時代は幸せと呼べるかも知れないけれど、これからもずっと戦争が起きないためには戦争のことを知って、伝えていく大人でいたいのです。

そして、戦争を作った教育が今どうなっているのか、どういった方向に進もうとしているかも知りたい。今がその「準備期間」になっていないかという不安があるからです。

私の子どもも、全ての子どもも、戦争を知らずに戦争へ加担する人間にはしたくないから。

誰も幸せにしない戦争がもう二度と起こらないように、幸せになりたくてもなれずに犠牲になった全ての人のために、戦争を知らない時代に産まれた大人としての責任をこれからも果たしていきたい、私にとって12月8日はその想いを胸に刻む日です。