憲法のもとで成長した私は76年後の今朝、想いとたまごやきをお弁当につめて、平和のためにできることをしています(安保関連法に反対するママの会信州・山本妙さん)

こんにちは、私は上田市に住む主婦です。小学二年生の双子を育てています。

私は、毎朝たまごやきを焼いています。

パパのお弁当に、みんなの朝ごはんに、子どものお弁当がある日はいくつも焼きます。

といた卵をくるくるていねいに巻いて、きれいに仕上がった日は朝からなんだかとてもうれしい。

反対に、うまくできなかった日は一日残念な気分になります。

毎日たまごやきを巻きながら、きっと昔のお母さんも私と同じだったんだろうな、と思います。

戦争があったからって、みんながみんな狂気に走っていたわけじゃない。

苦しいなかでもお母さんが家族にそそいだ愛情は同じだったはずです。

 

もし、いま、戦争になって、夫が「きまりだから」と言って、外国に戦争に行ってしまったら、とてもつらいです。

そしてそれ以上に、いま8歳の息子や娘、子どもたちが「戦争は悪いやつをやっつけることなんだ」という言葉を当たり前のように教えられて、「国のためにひとの命を奪う、自分も死ぬ」ことをなんとも思わなくなってしまうのは、私には自分が死んでしまうこと以上に耐えがたいです。

戦争は、大義名分をつけた人ごろしです。

どんなにきれいごとを言ったって、人が人をころす、それ以上でもそれ以下でもありません。

私は、子どもを産みました。命を産みました。

命を産み、育てる、これが人同士ころしあうためのことだとは、思いたくありません。

 

私は毎朝、たまごを焼きます。お弁当につめて、一日お仕事がんばってね、学校で楽しく元気に過ごしてね、という思いも一緒につめます。

昔のおかあさんもきっと、同じようにお弁当をつめていたと思います。でもそこに「国のために人をころしてこい、死んでこい」という気持ちはつめていなかったと思います。

だけど、言葉では言わなきゃならなかった。人をころしに駆り立てられていく夫や息子に「おめでとう、ばんざい」……私は、絶対に絶対に、言いたくありません。

 

戦争の話をするとよく「昔の人は考えがおかしかったからだ」と聞きますが、本当にそうだったでしょうか。確かに国の中を流れる言葉はそうだったかもしれませんが、私たちが暮らす今の日常と、ひとの気持ち、家族や友人を愛する気持ちはそんなに変わっていなかったと思います。

それなのに、あんなにつらく苦しい思いをした人がたくさんいたのは、抵抗できなかったから。

戦争をしたがる国家や政府に従うしかできず、抵抗する手段を奪われてしまったから。

いやだと言うなら、今だと思います。抵抗する手段のある、今だと思います。

いまの政府がこれまでに決めてきたことは、戦争のことを私たち国民に秘密で進めてしまえる仕組み、外国同士の戦争に日本が首をつっこめるきまり、戦争に反対する人たちをつかまえて黙らせてしまうための準備です。

このあと、絶対に戦争はしないという大きなきまりごとも、変えてしまおうとしています。

私たちは自由に生きていっていいんだというきまりも、なくしてしまおうとしています。

このままでいくと、また私たちは同じ道を歩んでしまうのではないかと、とても恐ろしく悲しい気持ちです。

 

お子さんのいるお父さん、お母さん、考えてみてください。

自分の子どもが、外国の人に対して「あいつらをころしてやりたい」なんて恐ろしいことを平気で言ってしまうのは怖くないですか?

まだ結婚していない、彼や彼女がいる人も、想像してみてください。

将来、結婚して相手や子どもが人をころしに行くことを、それを悲しむこともできないことを。

お孫さんのいらっしゃるおじいちゃん、おばあちゃんは、この国はそう遠くない過去に実際、そういう国だったということを肌で感じていらっしゃるはずです。

戦争で得をする国民は、一人もいません。得をするのは国家や軍需産業に手を染めている企業だけです。けれど死ぬのは、傷つくのは得なんてひとつもしない、私たち国民なんです。

けんかはしても、仲直りできます。戦争は、仲直りする前に人が死にます。

 

人間、どうやったっていつか最後のときはきます。

それまでに私は私らしく、子どもたちにも自分らしく、自由に平和に譲りあって幸せをわけあって生きていきたい。

そしてやがてくるそのときに、私は生きていてよかったと、あなたがいてくれてよかったと言えるような、少しでもあたたかい気持ちでいきたい、送りたいと思っています。

 

76年前の今日、たまごやきを焼きながら普通に過ごしたかったお母さんたちは、戦争を止められませんでした。

でもいま、そのお母さんたちの気持ちを受け継いだ憲法のもとで成長した私は76年後の今朝、想いとたまごやきをお弁当につめて、平和のためにできることをしています。