「安保法制成立からの4年間、私は精神的な平和をこの国に感じたことは一度もない」(2019年9月19日 長野市トイーゴ前) 

安保法制成立から4年がたちます。ひどい強行採決でした。いてもたってもいられないくらい腹が立ったのは自衛隊に知り合いがいるからです。

 

国の最高法規の憲法を無視し、国民に問うこともなく、自衛隊の任務を戦争に荷担できるものにして良いのか。政治に無関心だった私が初めて自分のこととして向き合った問題でした。

あれから、日本はどうなったでしょうか。

確実に自衛隊は「防衛」ではなく「攻撃」のための軍隊のような組織になりつつあります。防衛の名のもと、8年連続で増え続ける軍事費は戦闘機や護衛艦、迎撃ミサイルの購入に使われ続けています。なかでも1機およそ110億円とF35戦闘機を147機アメリカから爆買いしています。機体の価格に加え、維持管理費も含めると、総額はそれだけで約6兆2000億円です。

様々な国へ派遣されているところは海外から見ても日本の自衛隊は「軍隊」そのものであり、防衛費拡大は「攻撃力の強化」と見られても何もおかしくありません。そして今の若者は自衛隊の仕事は「いざとなれば戦争に行くこと」だと思っているかもしれません。人を殺すかもしれないということを含めて。でもそれは憲法9条がある日本ではあり得なはずです。そんな間違った認識さえ作ってしまったのは国が勝手に法を変えてしまったからです。2015年以前からいる自衛隊員は、突然ある日を境に自分達の任務が変えられた中で働き続けている、その心情は複雑なはずです。

しかし現実は任務拡大のため、軍事演習も増えています。守るための訓練ではなく、攻撃に備えての訓練も行っていることでしょう。

その結果、自衛隊の志願者は減少し、防衛相は募集に躍起になっており、そこで自治体への自衛隊員募集に関わる名簿提出問題も出てきました。

もちろん自治体の在り方も問われてはいますが、何よりも「自衛隊だけが公の機関の中でも格段に特別視されている」という事実もおかしな話です。

 

私たちの暮らしでも変化がありました。

オスプレイが自分達の住む町の上空を飛ぶようになりました。そして、事前に知らされることもありません。もし墜ちたらどうなるでしょうか。事故件数の多いオスプレイが飛び立つ横田基地は東京にあります。すでにパラシュートが中学校に落下したり、危険なヘリモードでの飛行も相次いでいます。日本の首都がアメリカの特殊部隊の出撃拠点地になっている、そして生活している頭上を危険なオスプレイが飛んでいることに対して「安全だな、平和な日本だな」と思っている人はどのくらいいるでしょうか。

私は少なくともこの4年間、精神的な平和をこの国に感じたことは一度もありません。たった4年でもこれだけの変化があります。その辺にいる主婦の私でも、安保法制以降、この問題について注視して見れば一目瞭然で分かるくらいのことなのです。

 

国内における諸問題はやはりこれらのお金の使い方を見ても、教育や福祉、最低賃金などにも絡んでいます。

これだけ防衛費にお金を使えて、なぜ教育費は完全無償化にできないのか。福祉に充てられないのか、最低賃金で満足に生活できないのに消費税だけは上がるのか。格差は広がるばかりでいつも誰かが苦しんでいます。

生活の中の平和も、国の在り方を見たときに感じる平和も、本当に感じられていますか?

幼かった私の子どもたちは小学生になり少しずつ、戦争や平和という言葉と意味を知りつつあります。

私は親としても一人の人間としても、平和とは今ただ目の前で戦争がない状況だけを指すのではないこと、日本が歴史の中で何をし、どうなったのか、そしてこれから何をしていかなければならないのかを語れる人間になりたい。

歴史を振り返り本当の平和を掴むために国は何をすべきか。市民である私たちは何ができるのか、これからも考え続け声に出して行動していきたいです。