日本の戦争のこと

「戦争をなくすために必要なこと」(元戦場カメラマン・石川文洋さん)

 人間というのは、月や宇宙にも行くし、深海にも行ったりするというすぐれたところもあるのに、過去の戦争の教訓を生かせない、愚かな点もあると思っています。

 

かつて日本の戦争が終わったときに、あれだけ「戦争はしない」と憲法九条をつくって、私も終戦のとき、小学校二年でしたが、本当に戦争というものは絶対にダメだと思いました。それが今、政府の人もそうだけど、一般の人も戦争からかなり離れてますよね。戦後直後のように、「戦争は絶対にイヤだ」とはなっていない。口ではそう言っていても、行動として、選挙で戦争をする国をつくろうとする人たちを選んでいる。それは戦争の教訓を生かしきれていないからだと思います。これは日本人だけでなくて、世界でもそうだと思います。

 

ベトナム戦争について、米国防長官だったマクナマラ氏が回顧録で、なぜアメリカが敗北したかを分析し、ベトナムの文化や民族を理解できなかったことだと書いていますが、私は戦争というものは相手を理解しないというところが大きな原因になっているというように思います。

日本の戦時中、私は沖縄人でありながら、朝鮮人を差別したり、アメリカ人については「鬼畜米英」と赤い顔してツノが生えたポスター、今でも私、覚えていますよ。そういう相手を理解していないことが戦争につながる。ベトナム戦争のときでも、アメリカ人はベトナム人は人間より落ちる土人、目がつりあがってですね、もう人間を人間として思わないで相手を殺していく。

戦争をなくすためには相手の国の一人ひとりの人間にはそれぞれの人生があるんだと、一人ひとりの人間を理解していくことです。軍事力では解決できません。軍隊は抑止力にならない、戦争をなくすためには地球上から軍隊をなくすことだと、軍隊がある以上戦争は起こるというように思っています。

 

私は日本の戦争がどういったものであったかを学びなおすことが大切だと思っています。そして私は、一人ひとりの人間の善意というものは信じています。そこに私は希望をもちます。この講演会に参加している人たちは戦争に反対してくれています、日本にも戦争に反対している人はたくさんいます。心強く思います。そういう人たちが広がって戦争はなくなる方向にすすんでいく、そう信じています。 

続きを読む

次の世代の為に良い日本を!(報道カメラマン・石川文洋さんのメッセージ)

今、北海道から沖縄まで80歳徒歩の旅を続けています。

東北では東日本大震災の後

復興を願いながら

懸命に生活をしている人々の姿を見ました。

福島の原発事故は人災です。

原発の再稼働は

事故が教訓となっていません。

アジア太平洋戦争も

日本が起こした侵略戦争の歴史も

分からない人が多いと思います。

過去の歴史を知り

明るい未来を築きましょう。

続きを読む

歴史を偽ることは罪である(児童文学作家・和田登さんのメッセージ)

十二月八日。

あの真珠湾攻撃の翌年、

国民学校一年生だった。

それから、まもなく日本軍は敗退に敗退を重ね、

戦場からは次々と遺骨が無言で帰った。

校庭に全校生徒までが集められ、合同葬が営まれた。

兵士たちの多くが、南海諸島のジャングルで飢えて死んだとか、

全く知らされることはなかった。

すべてが、お国のために勇敢にたたかった英雄だと称えられ、

君たちも、臆せずに続けよと。

だが、やがて敗戦。

ぼくたちは、軍国主義教科書に墨をぬる、墨塗り少国民となった。

意味も分からず、言葉を消すことに怯えつつ、教科書をべたべたに汚した。

 

現政権が、公文書の不都合な部分を、墨塗りで公開したり、教科書への記述を拒んだりするたびに、あの日々を思う。

彼らには、真実の歴史を、真実の言葉を消すことの怯えや、罪の意識がないのか。

明日を平和で豊かに暮らす知恵は、歴史と自然界の摂理に学ぶしかないのだ。

その墨塗り政治の果ては、米軍と一体となった広大な再軍備計画、宇宙部隊実現にまで及ぶ。

宇宙ゴミ対策という欺瞞の名目を挙げつつ。

――そこまで行っているのに、改憲とは何なのか。

ぼくは憂える。

安倍政治の罪深さを。未来の暗さを。

今こそ、良識ある市民の怒るときである。

続きを読む

松代大本営地下壕と説明板(案内板)の問題について

 松代大本営は、アジア・太平洋戦争末期の1944年夏に、「本土決戦」を叫ぶ旧日本軍が最後の拠点として、東京から現・長野市松代町に、大本営、政府各省等を極秘のうちに移転することが計画され、建設が行われた地下軍事施設群です。

 松代は海岸線から遠く、岩盤が堅いなどの理由で選ばれたとされています。象山、舞鶴山、皆神山一帯に独立した地下壕が掘られ、象山(イ地区)には政府、日本放送協会、中央電話局を、舞鶴山(ロ地区)には天皇御座所、大本営、宮内省関係を、皆神山(ハ地区)には食料庫を予定。壕の総延長は10キロを越え、終戦時には80%以上ができていました。

 工事は鹿島組と西松組が請け負い、主に朝鮮人労働者が従事。その数は強制連行と自主渡航による7千人前後と推定されていますが、工事犠牲者の数や実態は明らかになっていません。日本人も国家総動員法に基づき勤労動員されました。学徒勤労動員もありました。

 

児童文学作家の和田登さんは、長野市民新聞2014年8月26日付で次のように書きました。

“この工事の本質は、その工事主任であった吉田栄一大尉が憲兵の一員に告げた言葉「労務者は機械だ。あなたがたは人間だ。人間は口をきく。だから話せない」と、憲兵にさえ何の工事か明かさなかった言い方に表れている。人権を無視した労働だった”

“朝鮮本土で日本軍の収奪にあい、やむなく日本に渡航し、ここで働かざるを得なくなった人々を自主渡航組とよぶが、いったんこの工事に組み込まれると『連行組』同様、生きるか死ぬかの強制労働だった…ここに到着した形が強制的か自主かにとらわれると本質を見失う” 

長野市が立てたこの案内板には「当時の関係資料が残されていない」とあります。「残されていない」はどこか他人事ですが、これは当時の軍部などの指令により、戦争に関わる資料が証拠隠滅で焼却された、というのが実態。長野市も焼却の当事者です

見学後の話し合い。①工事に動員された朝鮮の人々は、すべてが強制連行ではないが、いったんこの工事に組み込まれると、生きるか死ぬかの強制労働、②沖縄戦は工事の時間稼ぎ、③軍部の指令で戦争に関わる資料は証拠隠滅、関係資料が残されていない(今の公文書の問題にもつながる)。

 

中学2年の男子が「当時の日本はなんて無謀なことを考えていたんだろう」。第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、皇居、大本営、政府各省をこの地に移すという計画のもとに建設されたもので、終戦時には8割が完成していました

 

日本が戦う姿勢を見せつけることで、もし戦争に負けても、せめて条件をつけて負けたい。その条件とは、「元首」としての天皇制を守ることにあったと言われています。そのもとでの朝鮮人の強制労働、地元住民の強制疎開、時間稼ぎの沖縄戦でした。 

続きを読む

沖縄の過酷な歴史と「命どぅ宝」(沖縄県島尻郡八重瀬町在住の平和ガイド、斎藤光枝さん)

長野県から修学旅行に来るみなさんのガイドもすることがあります。長野県の生徒さんたちは、平和学習をよくされているようで、熱心に話を聞いてくれる印象があります。

 

沖縄はかつて琉球王国として、対外政策としてはもっぱら平和外交と交易をつらぬいて、文化国家・琉球の地位を築いていました。

1879年、日本政府は、この地域が日本領土であることをはっきりさせるため、沖縄県を設置しました。その一連の措置が、いわゆる「琉球処分」です。

琉球王国の時代、日本の一県の時代、戦後アメリカの時代、そして再び日本の時代、沖縄は過酷な歴史をたどりました。

 

沖縄は、日本で唯一、住民を巻き込んだ戦場になったところです。

20万余の多くの命が奪われ、その中でも県民の犠牲者が軍隊より多いことが特徴です。

沖縄には「命(ぬち)どぅ宝」という言葉があります。「命こそ宝」です。

沖縄戦では男子が14歳から兵士に、女子学徒は負傷兵の看護など、勉強より訓練でした。

九州や台湾に子ども、お年寄りを疎開させたのは、戦争に邪魔になるものを追い払い、食料を確保するためでした。疎開先では衣食住に困り、弱い立場にあることから苦しみました。

 

戦争は軍隊をなによりも優先します。

日本で唯一、地上戦を体験した人々が、戦争につながるあらゆるものに反対するのもそのためです。

 

「天皇の国、日本が負けるはずがない。軍隊は住民を守ってくれる」と信じていた住民。しかし軍は本土防衛のため、持久戦に位置づけ、沖縄を捨て石にしました。

軍隊は国を守っても住民の命は守らない。戦争で家族を失い、家・財産を失った県民、戦後は27年間、異民族が支配し、強行的に基地を建設しました。なぜ沖縄だけに押しつけるのか。

全国土面積のたった0.6%しかないこの島に、全国の70.3%の米軍基地が集中しています。

基地があるゆえに、米軍の事件や事故は、本土復帰して6000件以上です。

基地は戦争の訓練です。人間が人間でなくなります。人間の心が破壊されます。アメリカでの銃乱射事件もその障害がほとんどです。

 

沖縄の県民の心は、「イデオロギーよりアイデンティティー」の心です。

沖縄の言葉に「ちむぐりさ」という言葉があります。相手の心を、相手の苦しさを分かち合いましょうという意味です。

そして「いちゃりばちょーでー」、出会ったら兄弟、国は違っても言葉、肌の色、宗教、生活習慣が違っても仲良くしましょうということです。

まさに平和の心だと思います

 

これは今問われている沖縄の課題、いや日本の課題です。

過去の戦争、今の基地問題、沖縄の民意が知事選選挙で問われました。

翁長前知事は、病とたたかっても最後の最後まで県民の意志をつらぬきました。

その翁長知事の遺志を継いで、8万票の大差をつけて玉城デニー知事が誕生しました。

 

戦争は平和のなかにつくられます。

来年の参議院選挙は、日本という国が「憲法改正」で本当に戦争する国にするのか、そして沖縄の辺野古基地をつくるのかが、私たち沖縄県民にとって最大の問題です。

 

玉城デニー知事を支えて、平和ガイドとして、また選挙アナウンサーとして、私も精一杯がんばります。

続きを読む

「軍隊は民間人を守らない」ー沖縄戦の集団自決の惨状と背景(元戦場カメラマン・石川文洋さんの講演会より)

親が子どもを殺す、夫が妻を殺すという沖縄戦の集団自決はあまりに辛いことで、この惨状を経験した人たちはなかなか口にしたくないことでした。2007年に高校の教科書の検定で、集団自決に日本軍が関わってきたことを、文科省が「高校の教科書から削れ」と言ってきたことをきっかけに、「本当のことを伝えなければ」と、話しはじめるようになりました。

なぜ集団自決が起こったか。日本兵士たちから、アメリカ兵に捕まったら「女性は暴行した後にひどい殺され方をする」「子どもは地面にたたきつけて殺される」「男性も股を咲かれたり、戦車に轢きつぶされる」などのデマが飛び、その恐怖感が住民に広がりました。

また、兵士たちに染み込んでいた「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」、捕虜になるよりもいさぎよく死になさいという戦陣訓が、兵士から沖縄人に広がりました。戦陣訓は1941年に東条英機陸軍大臣が軍に伝えました。戦陣訓は陸軍大将の今村均のグループがつくったと言われていますが、島村藤村も念入りに手入れをしました。

 

渡嘉敷島でお父さんに頭を鍬で打たれた女性は、死体のなかで息を吹き返しました。沖縄では、集団自決のことを書いた本がたくさんあります。そういうものを安倍首相は読んだことがあるんだろうか?私はないと思います。

読谷村のチビチリガマ、ここでも集団自決がありました。2歳、8歳、10歳、13歳、15歳、そして42歳のお母さん。子どもは自決できないから、親が子どもを殺したわけです。沖縄の言葉で『命どぅ宝』、命こそ宝という言葉がありますが、死んでしまえばなにもできない。生きていれば、いろんな人生があっただろうにと、とても残念に思います。

沖縄では、日本軍に殺された民間人もたくさんいるんですけど、軍隊というのは民間人を守らない。戦争になったら民間人を守らない。満蒙開拓団についてもそうでした。関東軍は開拓団を置いて逃げてしまったわけです。あの後の苦しみというものも考えたときに、こういうことを書いた本を安倍政権の人たちには読んでもらいたい、ぜひ読ませたい。安倍首相は、侵略の定義を「国際的に定まっていない」と言いましたが、そういう人が首相になっているから困る。侵略というのは、はっきりしている。軍事力を背景にして、親日本政権をつくる、植民地にする、軍事力を背景にして自分の都合のよい国にしていく、これは侵略です。

 

4人に1人が亡くなった沖縄戦、沖縄戦は日本軍がいたから起こったわけです。はっきりしています。日本軍がいなければ、アメリカが上陸してきても、大勢の人間が殺されたり、文化財が破壊されたり、島が破壊されたり、そういうことはなかったわけです。今度、沖縄が破壊されたり、沖縄戦のようなことが起こるとすれば、それは基地が強化されるときです。辺野古新基地は普天間基地の危険性を除くためではありません。負担軽減ではなく、強化です。

 

続きを読む 1 コメント

発表「小学校6年の総合の時間で勉強したこと」(前川喜平さんと「親・子・みんなで考える 勉強ってなに?憲法ってなに?」、3月21日長野市内)

長野県豊丘村に住んでいます。小学校を卒業しました。6年生のとき、総合の時間を使っていろいろなことを勉強しました。

 

6月の音楽会で「平和の鐘」を歌うことになり、その歌は沖縄の平和を歌う唄だったので、簡単な気持ちで歌えないという気持ちになって、たくさんの戦争の本をクラスで読みました。

 

音楽会は終わったけど、戦争のこと、特に沖縄のことは気になっていて、なんで戦争は終わったのに沖縄の基地はあるのか?ということで総合の時間のテーマは決まりました。本などで調べ物をしているうちに、村の施設で石川文洋さんの写真展があることを知り、クラスで見にいきました。そのあとで先生が石川文洋さんと連絡をとり、話を聞くことになりました。ベトナム戦争で沖縄から飛行機が飛んでいったことを全然知らなくて、みんなすごくびっくりしました。

 

次に満蒙開拓のことをしっている人がいて、身近だから調べやすいということで学習をはじめました。年が明けて、阿智の満蒙開拓平和記念館に行きました。被害の歴史だけど、加害の歴史であることを知って驚きました。さらにたった一人引き揚げで帰ってこれた、久保田諌さんの話を聞くことになりました。集団自決になって、年上の人たちと石で殴り合い、気絶したけど、二人とも生きていて、気がついたけれど、まわりの73人は全員死んでいて、現地で使っていた苦力頭の人に助けをもとめ、助けられて帰ってこれたと聞きました。久保田さんは、「食べ物を粗末にするな」ともいい、それから給食は残ることはなくなりました。先生から言われたわけでも、みんなで話し合ったわけでもありません。苦手なものとかある人がいるんだけど、その人は食べられる人にたべてもらいます。

 

総合の時間のことは、参観日で発表もしたけれど、豊丘村は満蒙開拓に行っているのに、お母さんたちは知らなくて、なんで知らないんだろう?と思いました。

続きを読む

多くの教員が教壇を追われた二・四事件

教員の高木義隆さんのスピーチ(4・23共謀罪反対パレードinながの)

続きを読む

私たちはこれからも歴史を学びます。ときに時間を使い、足を使い、孤独になり、そして今を考えます。小さくてもできる自分自身の行動とともに。

長野県中野市、高社山の麓にある谷厳寺には、憲法9条の碑が建っています。このお寺には学童疎開を受け入れた歴史があり、「二度と戦争はしてはいけない」の思いの結晶です。また、高社山から名をとった高社郷開拓団が「幸せになれる」と信じて国策の満蒙開拓にむかった歴史もこの地にはあります。そこで待っていたのはソ連侵攻でした。終戦後も終戦を信じられず、600余名の人たちが親が自分の子を殺し、大人同士で殺し合う「集団自決」に追い込まれたのでした。

続きを読む 0 コメント

松代に根づいた「アンネのバラ」。差別をすることも戦争をすることもないバラが、この地で語っていること

続きを読む 0 コメント

「信州に関わる戦争について書こうとする時、松代大本営建設で連行された朝鮮人と地元住民の苦しみ、そして満蒙開拓は欠かせない」(児童文学作家で映画「望郷の鐘」原作の和田登さん)

10月28日、信州の戦争の歴史に詳しい和田登さん(児童文学作家、映画「望郷の鐘」原作)のお話を聞く会をおこないました。テキストに和田さんが書かれた「キムの十字架 夏海の、これから」。

 

この小説の「高子バーバ」のモデルになっているのが山根昌子さんです。

 

“山根昌子(やまねまさこ)さん、1939年生まれ。父は朝鮮人、母は日本人。第二次大戦末期、父は松代(まつしろ)大本営の工事に動員され、一家で朝鮮人飯場に住まわされていた”

“彼女は東京で模型店を経営しながら、懸命に子どもを育てる。『戦争』も『朝鮮』も忘れたい言葉だった。だがある日、松代大本営について書いた本と出合い、逃げずに自ら真相を究明する決意を固める”

“ここで一体どれだけの朝鮮人が犠牲になったのか。その一人一人が名前を持ち、家族や友人がいて、温かな血の流れるかけがえのない人間だった。せめて真実を明らかにし、彼らの魂を手厚く弔いたい-。遺体の行方すらわからない松代大本営の闇に、山根さんは挑んだ”

(コラム「南風」 山根昌子さんの憤死 - 琉球新報2012年8月28日)

 

 

「松代大本営について書いた本」というのは、和田さんが書いた小説で、アニメ映画化もされた「キムの十字架」。日本軍によって弾圧された朝鮮人の若者の眼を通して戦争の犠牲となった朝鮮の人々の姿が描かれています。

 

和田さんは、「信州に関わる戦争について書こうとする時、松代大本営建設で連行された朝鮮人と地元住民の苦しみ、そして満蒙開拓は欠かせない」「戦争を考えるときに、どうしても落としてしまうことは、加害者の側に立った想像力を働かすこと。戦争を題材にした多くの児童文学作品がありますが、それらは兵隊になって戦争に出て行ったお父さんを失う悲しみを描いているが、その出て行った兵隊たちがなにをしたかは描かれていない。向こうにいって何をしたかという実態をもっともっと私達は知るべきだと思います」と言います。 

続きを読む 1 コメント

山本慈昭さんの精神を受け継ごう(映画「望郷の鐘」原作・和田登さん)

毎月19日の長野市のアクション、2016年8月19日は映画「望郷の鐘」原作者の和田登さん(長野市在住)から「山本慈昭さんの精神を受け継ごう」というメッセージをいただきました。映画「望郷の鐘」の主人公の山本慈昭さんは、長野県下伊那郡阿智村の出身。みずからも満州で過酷な体験にあいながらも、生涯を中国残留孤児たちの肉親探しにささげ、献身的な愛で支えました。

続きを読む 0 コメント

【信州・安曇野】「靖国には行かない」と特攻に散った上原良司が家族に別れを告げた場所で、私たちが感じたこと

安曇野の乳房川

続きを読む 1 コメント

「私たちの住む阿智村は、満蒙開拓団の歴史から多くの教訓を学び、戦争の悲惨さや愚かさを後世に伝える使命を負っています」

続きを読む 1 コメント

「戦争がなくなったら、石の鐘は下げてとりかえましょう」ー「石の鐘」の物語

続きを読む 6 コメント

太平洋戦争開戦日にあたって核兵器も戦争もない世界目指して(茅野市在住の被爆者でノーベル平和賞授賞式に出席する藤森俊希さん)

(信濃毎日新聞12月8日)
(信濃毎日新聞12月8日)

2017年12月8日 

長野県原爆被害者の会会長

藤森俊希

 

金曜日のきょう12月8日は、1941年12月8日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まりました。それから3年3ヶ月後、1945年3月10日東京大空襲、6月23日沖縄戦終結、8月6日広島、9日長崎への米軍による原爆投下によって壊滅状態になり、太平洋戦争は、日本政府のポツダム宣言受諾で、8月15日終戦を迎えました。

 

これら一連の戦争によって、日本では300万人を越す人々が命をおとし、日本が始めた戦争によってアジア諸国で犠牲者は2000万人に及びました。

 

今を生きるわたしたちは、二度と世界の人々の犠牲を生み出す戦争を起こしてはならないことを、きょう12月8日は、日本の歴史を振り返り、戦争も核兵器もない世界を作り出す知恵と力を集める日とすることを心より訴えます。

 

1945年8月、米軍が広島、長崎に原爆を投下し、その年だけで21万人の人々が命を落とし、72年たった現在も原爆による障害で、15万を超す人々が苦しみ続けています。

 

被爆者への健康手帳を発行している長野県庁によると県内には117人の広島、長崎で被爆した方がおられ、多くの人が原爆の後遺症で苦しんでいます。核兵器はもとより、各国の人々の命を奪う戦争は、絶対に起こしてはなりません。

 

広島、長崎から72年目にして、今年7月7日、国連本部での会議で、核兵器禁止条約が国連加盟193ヵ国の6割を超す賛成多数で採択されました。50ヵ国を超す国が賛同し、国連に批准書を提出することで、条約が効力を発揮します。

 

いま、核兵器のない世界をつくる絶好のチャンスです。

被爆者が訴える国際署名に、みなさんの平和を求める思いを込めて署名され、周囲の方によびかけていただくことを心より訴えます。

 

ありがとうございました。

続きを読む

平和・協同ジャーナリスト基金賞「奨励賞」を受賞した清水まなぶさん(シンガー・ソングライター)からのメッセージ

信濃毎日新聞12月2日
信濃毎日新聞12月2日

太平洋戦争開戦という日に

平和や戦争のことをあらためて皆で考える。

とても大事な事だと思います。

そして、その思いを胸に

街に出て行動を起こされている皆さんに敬意を表します。

 

私事ながらこの度 長野県内 全市町村での

戦争体験の聞き取りをまとめた本を出版しました。

 

たくさんの方に直接お話を聞かせていただくと

それぞれに戦時中の辛さや苦労がありました。

そんな当時の方々の悲しみや命の上に

今の日本のこの豊かな暮らしがあります。

 

当たり前にある平和。

しかしこれは当たり前な事ではなく

いつでも、あっという間に崩れ落ちてしまうということも頭に入れておかなければなりません。

だからこそ皆で築き上げていきましょう。

平和な世界を。

いつまでも笑顔あふれる故郷を。

 

「もう二度と戦争を起こしてはならん」。

自分たちもだが、子どもや孫にあんな事を体験させたくない。

これが戦争体験者たちからのメッセージです。

戦争の悲惨さも風化しそうな

開戦から76年の今だからこそ

皆でしっかり その思いを受け取り

繋げていきましょう~

 

ありがとうございました!

 

2017年12月8日 清水まなぶ

続きを読む

今、日本は戦前の昭和7、8年から昭和15年くらいまでの間と非常によく似ている(守谷商会相談役・山根敏郎さん)

続きを読む 0 コメント